境野竹之進
ナビゲーションに移動
検索に移動
- さかいの たけのしん
- 境野竹之進
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 憲兵
- 士候4
- 宮城県士族
- 慶応3年11月 - 大正14年1月
経歴
慶応3年11月 | 生 |
明治26年7月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候4) |
明治27年3月7日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治28年6月15日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治30年3月29日 | 任陸軍憲兵中尉(転科) |
明治31年10月10日 | 任陸軍憲兵大尉 |
明治37年4月1日 | 第12憲兵隊分隊長被仰付 |
第10憲兵隊長 | |
明治38年1月15日 | 任陸軍憲兵少佐 |
明治38年3月3日 | 補第13憲兵隊分隊長 |
明治39年3月20日 | 補第6憲兵隊長 |
明治40年7月15日 | 第14憲兵隊附被仰付 |
明治40年10月4日 | 補第14憲兵隊分隊長 |
明治40年10月9日 | 韓国駐箚憲兵隊分隊長(改称) |
明治42年11月30日 | 任陸軍憲兵中佐 補旭川憲兵隊長 |
明治44年1月15日 | 補小倉憲兵隊長[1] |
大正1年9月2日 | 補大阪憲兵隊長[1] |
大正1年11月30日 | 任陸軍憲兵大佐[2] |
大正6年12月1日 | 東京憲兵隊長 |
大正8年7月25日 | 任陸軍少将[3]・待命 |
大正8年11月1日 | 予備役[3] |
大正14年1月 | 卒去 |
栄典
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治37年6月23日 | 叙従六位 |
明治38年2月9日 | 大韓帝国勲四等太極章佩用允許 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治42年10月20日 | 叙正六位 |
明治45年5月24日 | 勲三等瑞宝章 |
大正2年1月30日 | 叙正五位 |
大正7年時点 | 勲三等旭日中綬章[2] |
大正8年11月29日 | 叙従四位(特旨) |
大正9年11月1日 | 賜金1050円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- 官報第6223号 明治37年4月2日(土曜日)
- 官報第6295号 明治37年6月25日(土曜日)
- 官報第6484号 明治38年2月14日(火曜日)
- 官報第6501号 明治38年3月6日(月曜日)
- 官報第6815号 明治39年3月22日(木曜日)
- 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- 官報第7213号 明治40年7月16日(火曜日)
- 官報第7282号 明治40年10月5日(土曜日)
- 官報第7899号 明治42年10月21日(木曜日)
- 官報第7932号 明治42年12月1日(水曜日)
- 官報第8268号 明治44年1月16日(月曜日)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- 官報第150号 大正2年1月31日(金曜日)
- 官報第2198号 大正8年12月1日(月曜日)
- 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- 官報第3727号 大正14年1月27日(火曜日)
- 官報第995号 昭和5年4月26日(土曜日)