多田保房

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  • ただ やすふさ
  • 多田保房
  • 陸軍少将従四位勲二等功四級
  • 砲兵
  • 士官生徒1
  • 石川県士族
  • 嘉永5年3月21日 - 昭和10年5月15日

経歴

嘉永5年3月21日
陸軍教導団砲兵科卒業
明治8年 陸軍士官学校入校
明治10年 西南戦争従軍
明治8年2月 陸軍士官学校
明治10年7月28日 陸軍少尉
明治27年 日清戦争従軍
明治30年10月11日 野砲兵第2聯隊
明治32年10月28日 陸軍砲兵大佐
明治37年 日露戦争に出征
明治38年4月8日 陸軍少将東京湾要塞司令官[1]
明治39年3月12日 澎湖島要塞司令官[2][3]
明治40年11月13日 第1師団司令部附
明治41年3月18日 予備役
明治43年4月1日 後備役
大正4年4月1日 退役
昭和10年5月15日 卒去[4]

栄典

明治29年 勲三等
明治32年 従五位
明治39年4月1日 功四級金鵄勲章(年金500円)
勲二等旭日重光章
明治三十七八年従軍記章[5]
明治41年4月20日 従四位(特旨)

出典

  1. 戦時任用か
  2. 官報第6808号 明治39年3月13日(火曜日)
  3. 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に3月3日とあるのは誤り。
  4. 石川県出身陸軍々人 壱
  5. 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)