大島義昌
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- おおしま よしまさ
- 大島義昌
- 陸軍大将正二位勲一等功二級子爵
- 歩兵
- 山口県
- 嘉永3年8月15日 - 大正15年4月10日
経歴
嘉永3年8月15日 | 生 |
明治4年11月22日 | 任陸軍大尉(初任) |
明治6年12月3日 | 任陸軍少佐 |
明治15年3月3日 | 任陸軍歩兵中佐・歩兵第5聯隊長 |
明治18年5月21日 | 仙台鎮台参謀長心得 |
明治19年3月19日 | 陸軍士官学校次長 |
明治19年4月23日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治20年6月15日 | 東京鎮台参謀長 |
明治21年5月14日 | 第1師団参謀長 |
明治24年6月13日 | 任陸軍少将・歩兵第9旅団長 |
明治27年6月5日 | 動員下令(日清戦争)・混成第9旅団長 |
明治30年7月7日 | 対馬警備隊司令官 |
明治31年2月26日 | 任陸軍中将・第3師団長 |
明治37年3月6日 | 動員下令(日露戦争) |
明治38年10月18日 | 陸軍大将・関東総督 |
明治39年9月1日 | 任関東都督 |
明治45年4月26日 | 依願免本官(関東都督)[1] 補軍事参議官(親補)[1][2] |
大正4年8月14日 | 後備役 |
大正9年4月1日 | 退役 |
大正15年4月10日 | 薨去[3] |
栄典
明治11年1月31日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[4] |
明治28年5月23日 | 勲二等瑞宝章[5] |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 授旭日重光章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治36年5月16日 | 勲一等瑞宝章[6] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年9月21日 | 子爵(陞爵) |
明治43年12月20日 | 叙従二位[8] |
明治45年6月17日 | 授旭日桐花大綬章 |
大正4年11月7日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正9年9月20日 | 叙正二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6955号 明治39年9月3日(月曜日)
- 官報第2313号 大正9年4月21日(水曜日)
- 官報第4088号 大正15年4月13日(火曜日)
- ↑ 1.0 1.1 官報第8654号 明治45年4月27日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』には明治44年9月6日軍事参議官とあるが、明治44年9月7日官報には掲載されていない。
- ↑ 大正15年4月13日官報官吏薨去の欄では「正二位勲一等功二級子爵」と従前と同じ。
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8251号 明治43年12月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)