大迫尚敏
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- おおさこ なおとし
- 大迫尚敏
- 陸軍大将正二位勲一等功二級子爵
- 歩兵
- 鹿児島県華族
- 天保15年11月15日 - 昭和2年9月20日
経歴
天保15年11月15日 | 生 |
明治4年7月26日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治4年8月14日 | 任陸軍大尉 |
明治6年2月25日 | 免本官 |
明治10年4月25日 | 任陸軍少佐 |
明治16年6月22日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和16年6月29日 | 歩兵第6聯隊長 |
明治18年5月26日 | 近衛歩兵第1聯隊長 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治23年10月1日 | 第4師団参謀長 |
明治24年6月6日 | 補参謀本部第1局長[1] |
明治25年9月7日 | 任陸軍少将・歩兵第5旅団長 |
明治31年8月26日 | 参謀本部次長 |
明治31年10月1日 | 任陸軍中将 |
明治33年4月25日 | 第7師団長 |
明治37年8月4日 | 動員下令(日露戦争) |
明治39年5月29日 | 陸軍大将 |
明治39年7月6日 | 休職 |
明治40年11月13日 | 予備役 |
明治42年4月1日 | 後備役[2] |
大正1年11月25日 | 学習院長 |
大正3年4月1日 | 退役 |
大正6年8月25日 | 依願免本官(学習院長) |
昭和2年9月20日 | 薨去 |
栄典
明治11年1月31日 | 叙勲四等 年金135円[3] |
明治16年7月16日 | 叙正六位 |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章[4] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[5] |
明治25年9月26日 | 叙正五位 |
明治28年5月23日 | 勲二等瑞宝章[6] |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 授旭日重光章 |
明治30年11月20日 | 叙従四位 |
明治32年7月4日 | 大清帝国二等第一双龍宝星佩用允許 |
明治35年8月20日 | 叙正四位 |
明治36年5月16日 | 勲一等瑞宝章[7] |
明治38年8月26日 | 叙従三位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治40年9月21日 | 子爵 |
明治40年12月10日 | 叙正三位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[9] |
大正2年9月26日 | 七十歳ノ高齢ニ付御紋付御杯並ニ酒肴料下賜[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
大正6年12月20日 | 叙従二位[12] |
大正12年1月10日 | 八十歳ノ高齢ニ付御紋付銀盃並ニ酒肴料下賜[13] |
昭和2年9月20日 | 薨去 叙正二位(特旨) 授旭日桐花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- 官報第510号 大正3年4月14日(火曜日)
- 官報第221号 昭和2年9月21日(水曜日)
- 官報第223号 昭和2年9月23日(金曜日)
- ↑ 官報第2381号 明治24年6月9日(火曜日)
- ↑ 官報第7755号 明治42年5月5日(水曜日)
- ↑ 官令全報 第24号
- ↑ 官報第764号 明治19年1月21日(木曜日)
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第350号 大正2年9月27日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1617号 大正6年12月21日(金曜日)
- ↑ 官報第3132号 大正12年1月12日(金曜日)