林仙之
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- はやし なりゆき
- 林 仙之
- 陸軍大将正三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候9 陸大20
- 熊本県
- 明治10年1月5日 - 昭和19年5月31日
経歴
明治10年1月5日 | 生[1] |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治36年8月3日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治41年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第20期) |
大正5年1月21日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
陸軍大学校兵学教官[3] | |
大正5年11月15日 | 補歩兵第41聯隊附[3][4] |
大正7年7月24日 | 山口聯隊区司令官 |
大正7年8月19日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正8年7月25日 | 歩兵第3聯隊長 |
大正10年4月20日 | 陸軍歩兵学校教育部長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将 |
大正13年8月20日 | 歩兵第30旅団長 |
大正15年3月2日 | 朝鮮軍参謀長 |
昭和2年8月26日 | 陸軍士官学校長 |
昭和2年12月16日 | 陸軍中将 |
昭和4年8月1日 | 教育総監部本部長 |
昭和6年8月1日 | 第1師団長 |
昭和8年3月18日 | 東京警備司令官 |
昭和9年3月5日 | 任陸軍大将 待命被仰付[5] |
昭和9年3月24日 | 予備役[1] |
昭和12年2月17日 | 高等軍法会議判士(~昭和12年4月20日) |
昭和19年5月31日 | 薨去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正12年11月20日 | 叙正五位[6] |
昭和6年9月1日 | 叙正四位 |
昭和8年時点 | 勲三等旭日中綬章[7] |
昭和9年時点 | 勲二等瑞宝章[7] |
昭和9年3月5日 | 叙従三位[5] |
昭和9年4月5日 | 勲一等瑞宝章[8] |
昭和9年4月20日 | 叙正三位[9] |
昭和9年4月29日 | 旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第1418号 昭和6年9月18日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”聯隊長”とあるのは”聯隊附”の誤り。
- ↑ 5.0 5.1 官報第2151号 昭和9年3月6日(火曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- ↑ 官報第2176号 昭和9年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第2191号 昭和9年4月24日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)