安原啓太郎
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- やすはら けいたろう
- 安原啓太郎
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 歩兵
- 士候6 陸大15
- 石川県
- 明治7年8月24日 - 昭和20年1月
経歴
明治7年8月24日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治34年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第15期) |
歩兵第19聯隊附[1] | |
明治45年3月9日 | 補敦賀聯隊区司令官[1] |
大正4年8月10日 | 陸軍歩兵大佐・臨時朝鮮派遣歩兵第2聯隊長 |
大正5年4月1日 | 歩兵第80聯隊長 |
大正6年5月18日 | 歩兵第67聯隊長 |
大正8年4月15日 | 任陸軍少将[2]・歩兵第36旅団長 |
大正10年7月20日 | 第8師団司令部附 |
大正11年4月20日 | 第14師団司令部附 |
大正12年8月6日 | 待命 |
大正12年9月1日 | 予備役[2] |
昭和8年4月1日 | 後備役[3] |
昭和12年4月1日 | 退役[4] |
昭和20年1月 | 死去 |
栄典
明治28年11月15日 | 叙正八位[5] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[6] |
明治30年12月15日 | 叙従七位[7] |
明治34年9月30日 | 叙正七位[8] |
明治37年5月6日 | 勲六等瑞宝章 賜金100円 (明治三十五年台湾中部騒擾ノ際尽力其功不少ニ付)[9] |
明治38年9月6日 | 叙従六位[10] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[11] |
明治39年11月14日 | スペイン王国二等陸軍武功勲章佩用允許[12] |
明治43年10月21日 | 叙正六位[13] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[14] |
大正4年3月29日 | 勲三等瑞宝章[15] |
大正4年9月10日 | 叙従五位[16] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[17] |
大正8年6月20日 | 叙正五位[18] |
大正12年10月30日 | 叙従四位(特旨)[19] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[20] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 官報第8615号 明治45年3月11日(月曜日)
- ↑ 2.0 2.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第1911号 昭和8年5月18日(木曜日)
- ↑ 官報第3107号 昭和12年5月15日(土曜日)
- ↑ 官報第3717号 明治28年11月16日(土曜日)
- ↑ 官報第4164号 明治30年5月22日(土曜日)
- ↑ 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第5475号 明治34年10月1日(火曜日)
- ↑ 官報第6262号 明治37年5月18日(水曜日)
- ↑ 官報第6660号 明治38年9月9日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第7019号 明治39年11月20日(火曜日)
- ↑ 官報第8202号 明治43年10月22日(土曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第795号 大正4年3月30日(火曜日)
- ↑ 官報第934号 大正4年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第2064号 大正8年6月21日(土曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)