安樂城大造
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- あらき だいぞう
- 安樂城大造
- 陸軍大佐正五位勲三等功四級
- 砲兵
- 士官生徒8
- 岐阜県
- 文久2年4月25日 -
経歴
文久2年4月25日 | 生 |
明治19年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治21年11月20日 | 任陸軍砲兵中尉[2] |
明治28年1月30日 | 任陸軍砲兵大尉[2] |
明治29年1月7日 | 野戦砲兵第4聯隊附被仰付[3] |
明治29年2月18日 | 補野戦砲兵第4聯隊中隊長[4] |
明治29年11月5日 | 補野戦砲兵第10聯隊第1中隊長[5] |
明治33年1月26日 | 任陸軍砲兵少佐[2] 補大阪砲兵工廠廠員[6] |
明治33年5月15日 | 補野戦砲兵第11聯隊第1大隊長[7] |
明治36年6月25日 | 補陸軍砲工学校教官[8] |
明治36年8月27日 | 補野戦砲兵第18聯隊大隊長[9] |
明治37年12月26日 | 任陸軍砲兵中佐[10] |
明治39年1月23日 | 補名古屋陸軍兵器支廠長[11] |
明治41年3月18日 | 補東京陸軍兵器支廠長[12] |
明治41年12月21日 | 補野砲兵第1聯隊附[13] |
明治42年11月30日 | 補野砲兵第17聯隊長[14] |
明治43年11月30日 | 任陸軍砲兵大佐 予備被仰付[15][16] |
大正2年7月5日 | 東醤油株式会社取締役[17](専務[1]) |
大正7年5月6日 | 東醤油株式会社取締役辞任[18] |
大正9年4月1日 | 退役[19] |
栄典
明治28年3月28日 | 叙正七位[20] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[21] |
明治29年3月30日 | 勲六等単光旭日章 年金70円 (明治二十七八年戦役の功)[22] |
明治33年3月10日 | 叙従六位[23] |
明治35年5月31日 | 勲五等瑞宝章[24] |
明治38年2月3日 | 叙正六位[25] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[26] |
明治43年3月11日 | 叙従五位[27] |
明治43年12月27日 | 叙正五位(特旨)[28] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 人事興信録 5版
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第3763号 明治29年1月17日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第3793号 明治29年2月24日(月曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第4008号 明治29年11月6日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第4969号 明治33年1月27日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第5058号 明治33年5月16日(水曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第5994号 明治36年6月26日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第6048号 明治36年8月28日(金曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第6449号 明治37年12月27日(火曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第6768号 明治39年1月24日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第7416号 明治41年3月19日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第7932号 明治42年12月1日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)
- ↑ 16.0 16.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 17.0 17.1 官報第297号 大正2年7月25日(金曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1769号 大正7年6月26日(水曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第2313号 大正9年4月21日(水曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第3521号 明治28年3月29日(金曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第4015号 明治29年11月14日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報号外 明治29年4月16日(木曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第5005号 明治33年3月12日(月曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第5671号 明治35年6月2日(月曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第6483号 明治38年2月13日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第8013号 明治43年3月12日(土曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第8257号 明治43年12月28日(水曜日)