安藤紀三郎
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- あんどう きさぶろう
- 安藤紀三郎
- 陸軍中将正三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候11
- 兵庫県
- 明治12年2月11日 - 昭和29年5月10日
経歴
明治12年2月11日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正11年8月15日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第2聯隊長 |
大正12年8月6日 | 陸軍省人事局恩賞課長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍少将・歩兵第30旅団長 |
昭和4年1月28日 | 第1師団司令部附 |
昭和7年4月11日 | 陸軍中将・旅順要塞司令官 |
昭和9年3月5日 | 待命 |
昭和9年3月24日 | 予備役 |
昭和12年9月2日 | 留守第9師団長 |
昭和14年3月9日 | 召集解除 |
昭和14年9月12日 | 中華民国新民会顧問 |
昭和16年10月22日 | 大政翼賛会副総裁(~昭和18年4月20日) |
昭和17年6月9日 | 任国務大臣[1] |
昭和18年4月20日 | 任内務大臣[2] |
昭和19年7月21日 | 貴族院議員(勅選議員)[3] |
昭和19年7月22日 | 依願免本官[4] |
昭和29年5月10日 | 薨去 |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位 |
明治36年2月20日 | 叙従七位 |
明治38年1月11日 | 叙正七位 |
功五級金鵄勲章 | |
明治43年2月21日 | 叙従六位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章 |
大正4年3月20日 | 叙正六位 |
大正9年4月10日 | 叙従五位 |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 戦捷記章 |
大正14年5月1日 | 叙正五位 |
昭和5年5月16日 | 叙従四位[5] |
昭和6年7月11日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和9年4月20日 | 叙正四位(特旨)[6] |
昭和9年4月29日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和15年4月29日 | 旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和17年6月15日 | 叙従三位[8] |
昭和19年7月1日 | 叙正三位[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- 官報第6462号 明治38年1月17日(火曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第2984号 大正11年7月13日(木曜日)
- 官報第3845号 大正14年6月18日(木曜日)
- 官報第1360号 昭和6年7月13日(月曜日)
- 官報第4586号 昭和17年4月27日(月曜日)