小原傳
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- おばら つとう
- 小原 傳
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒5 陸大5首席
- 愛媛県
- 文久1年12月14日 - 昭和3年3月29日
経歴
文久1年12月14日 | 生 |
明治15年12月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期首席) |
明治29年4月28日 | オーストリア公使館附武官 |
明治30年6月29日 | ドイツ公使館附武官 |
明治32年6月8日 | 陸軍大学校教官 |
明治34年6月26日 | 第12師団参謀長 |
明治35年12月19日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治39年7月6日 | 野砲兵第3聯隊長 |
明治41年12月21日 | 陸軍少将・対馬警備隊司令官 |
明治45年4月26日 | 補陸軍砲工学校長[1] |
大正3年5月11日 | 陸軍中将・由良要塞司令官 |
大正4年5月24日 | 第5師団長 |
大正6年8月6日 | 待命 |
大正7年4月1日 | 予備役 |
昭和3年3月29日 | 薨去 |
栄典
明治33年11月30日 | 勲五等瑞宝章[2] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正3年11月30日 | 勲二等瑞宝章[4] |
大正4年7月20日 | 叙正四位[5] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正7年4月30日 | 叙従三位[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)