小山憲佐
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- おやま けんさ
- 小山憲佐
- 陸軍軍医中将従三位勲二等医学博士
- 衛生部
- 埼玉県
- 明治15年3月14日 - 昭和21年4月28日
経歴
明治15年3月14日 | 生 |
明治39年 | 東京帝国大学医学部卒業 |
明治40年5月20日 | 任陸軍二等軍医(初任)[1] |
大正4年9月14日 | 任陸軍三等軍医正[1] |
大正6年時点 | 歩兵第11聯隊附[1][2] |
大正7年6月1日 | 補広島衛戍病院附[2][3] |
大正8年12月1日 | 任陸軍二等軍医正[4] |
大正9年時点 | 陸軍軍医学校教官[4] |
大正10年2月1日 | 陸軍技術本部御用掛[5] |
大正12年6月13日 | 任陸軍一等軍医正[6] |
大正12年8月6日 | 補台湾軍軍医部長[7][6][8] |
大正13年8月20日 | 補第9師団軍医部長[8] |
昭和2年3月5日 | 陸軍軍医学校教官 |
昭和3年3月8日 | 任陸軍軍医監 |
昭和4年8月1日 | 第4師団軍医部長 |
昭和5年8月1日 | 朝鮮軍軍医部長 |
昭和7年4月11日 | 陸軍軍医学校長 |
昭和7年8月8日 | 任陸軍軍医総監 |
昭和8年8月1日 | 待命 |
昭和8年8月30日 | 予備役 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和21年4月28日 | 死去 |
栄典
大正6年時点 | 従六位 勲五等瑞宝章[1] |
大正9年時点 | 正六位[4] |
大正12年3月20日 | ベルギー王国一等武功十字章佩用允許 |
大正12年時点 | 従五位 勲四等旭日小綬章[6] |
昭和3年時点 | 正五位 勲三等瑞宝章 医学博士[9] |
昭和7年時点 | 従四位[10] |
昭和9年時点 | 正四位[11] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許[12] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3192号 大正12年3月24日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正7年9月1日調
- ↑ 4.0 4.1 4.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第2549号 大正10年2月2日(水曜日)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- ↑ 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第3599号 大正13年8月21日(木曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第2798号 昭和11年5月4日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)