小山田勘二
ナビゲーションに移動
検索に移動
- おやまだ かんじ
- 小山田勘二
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 歩兵
- 士候3
- 鹿児島県
- 明治3年12月1日 - 大正10年11月30日
経歴
- 鹿児島県士族小山田嘉平の長男
- 姉ムメは専売局製造部長佐々木善次郎に嫁す
- 妻コトは貴族院議員宮中顧問官山田春三の二女
- 長男嘉一・二女久子・三女富士子・四女龍子・五女正子・五男健吉・六男束三
- 長女敏子は三菱銀行本店外国為替部長金野豊に嫁す
明治3年12月1日 | 生 |
明治25年7月23日 | 陸軍士官学校卒業(士候3) |
明治26年3月13日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治27年12月29日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治32年9月2日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治38年4月19日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治39年3月9日 | 補歩兵第15聯隊附 |
明治39年4月17日 | 補歩兵第49聯隊大隊長 |
明治41年12月21日 | 補歩兵第3聯隊大隊長 |
明治45年2月9日 | 補歩兵第3聯隊附 |
大正2年1月15日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正4年2月15日 | 補豊橋聯隊区司令官[2][3] |
大正5年11月15日 | 任陸軍歩兵大佐 |
大正6年8月6日 | 補歩兵第48聯隊長 |
大正10年3月11日 | 任陸軍少将 補歩兵第27旅団長 |
大正10年10月11日 | 依願予備役[4] |
大正10年11月30日 | 死去 |
栄典
明治26年5月10日 | 叙正八位 |
明治28年2月28日 | 叙従七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年5月25日 | 叙勲六等授瑞宝章 賜金150円 |
明治32年11月20日 | 叙正七位 |
明治34年11月30日 | 叙勲五等授瑞宝章 |
明治38年5月24日 | 叙従六位 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治43年7月11日 | 叙正六位 |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲三等八卦章佩用允許[6] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[7] |
大正2年11月28日 | 叙勲三等授瑞宝章 |
大正4年8月10日 | 叙従五位 |
大正9年9月10日 | 叙正五位[8] |
大正10年10月29日 | 叙従四位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2957号 明治26年5月11日(木曜日)
- 官報第3498号 明治28年3月1日(金曜日)
- 官報号外 明治29年6月11日(木曜日)
- 官報第4025号 明治29年11月27日(金曜日)
- 官報第4918号 明治32年11月21日(火曜日)
- 官報第5525号 明治34年12月2日(月曜日)
- 官報第6569号 明治38年5月26日(金曜日)
- 官報第6806号 明治39年3月10日(土曜日)
- 官報第6837号 明治39年4月18日(水曜日)
- 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- 官報第8590号 明治45年2月10日(土曜日)
- 官報第402号 大正2年11月29日(土曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- 官報第2581号 大正10年3月12日(土曜日)
- 官報第2775号 大正10年11月1日(火曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正5年4月25日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2760号 大正10年10月12日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第8231号 明治43年11月28日(月曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)