小泉六一
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- こいずみ ろくいち
- 小泉六一
- 陸軍中将正三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候7 陸大17
- 広島県
- 明治8年3月6日 - 昭和20年3月1日
経歴
明治8年3月6日 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治33年12月15日 | 陸軍大学校入学 |
明治36年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第17期) |
大正4年8月10日 | 青島守備軍高級副官 |
大正5年8月18日 | 青島軍政署附 |
大正5年11月15日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正6年10月1日 | 歩兵第1聯隊附 |
大正7年3月13日 | 歩兵第1聯隊長 |
大正8年4月15日 | 陸軍省軍務局歩兵課長 |
大正9年8月10日 | 陸軍少将・陸軍兵器本廠附(作戦資材整備会議幹事長) |
大正12年8月6日 | 憲兵司令官 |
大正12年9月20日 | 停職(甘粕事件) |
大正13年1月26日 | 待命 |
大正13年2月15日 | 歩兵第13旅団長 |
大正14年5月1日 | 陸軍中将・支那駐屯軍司令官 |
大正15年3月2日 | 第11師団長 |
昭和4年8月1日 | 第3師団長 |
昭和5年8月1日 | 待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役 |
昭和11年 | 帝国在郷軍人会副会長(~昭和19年6月) |
昭和13年4月1日 | 後備役[1] |
昭和20年3月1日 | 死去 |
栄典
明治30年4月30日 | 叙正八位[2] |
明治32年12月26日 | 叙従七位[3] |
明治37年3月18日 | 叙正七位[4] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[5] |
大正4年4月24日 | 勲三等瑞宝章[6] |
大正5年12月11日 | 叙従五位 |
大正8年11月28日 | 旭日中綬章[7] |
大正9年9月10日 | 叙正五位[8] |
大正9年11月1日 | 賜金2900円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] 戦捷記章[10] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[11] |
大正11年6月27日 | 勲二等瑞宝章[12] |
大正14年6月1日 | 叙従四位[13] |
大正15年10月29日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドール佩用允許[14] |
昭和3年4月17日 | 中華民国二等宝光嘉禾章佩用允許[15] |
昭和3年7月30日 | 勲一等瑞宝章[16] |
昭和5年9月26日 | 叙正三位(特旨) |
昭和9年4月29日 | 金杯一箇 昭和六年乃至九年事変従軍記章[17] |
昭和9年時点 | フランス共和国四等安南勲章 大清帝国三等第二双龍宝星 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[18] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1309号 大正5年12月12日(火曜日)
- 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- ↑ 官報第3404号 昭和13年5月12日(木曜日)
- ↑ 官報第4146号 明治30年5月1日(土曜日)
- ↑ 官報第4948号 明治32年12月27日(水曜日)
- ↑ 官報第6212号 明治37年3月19日(土曜日)
- ↑ 官報第7031号 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第822号 大正4年5月1日(土曜日)
- ↑ 官報第2197号 大正8年11月29日(土曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第2971号 大正11年6月28日(水曜日)
- ↑ 官報第3895号 大正14年8月17日(月曜日)
- ↑ 官報第4259号 大正15年11月3日(水曜日)
- ↑ 官報第390号 昭和3年4月19日(木曜日)
- ↑ 官報第478号 昭和3年7月31日(火曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)