小澤武雄
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- おざわ たけお
- 小澤武雄
- 陸軍中将正二位勲一等男爵
- 草創期
- 福岡県
- 天保15年11月10日 - 大正15年1月29日
経歴
天保15年11月10日 | 生 |
明治4年9月10日 | 任陸軍少佐(初任) |
明治6年11月14日 | 陸軍大佐・陸軍省官房長(~明治11年12月11日) |
明治9年10月28日 | 陸軍省第3局長 |
明治10年2月24日 | 征討総督本営参謀 |
明治11年11月20日 | 陸軍少将 |
明治11年12月14日 | 陸軍省第1局長 |
明治12年10月14日 | 陸軍省総務局長 |
明治14年10月27日 | 兼陸軍士官学校長(~明治15年2月6日) |
明治14年10月31日 | 兼任陸軍少輔 |
明治18年5月21日 | 陸軍中将・陸軍士官学校長 |
明治19年7月26日 | 参謀本部次長 |
明治21年5月14日 | 陸軍参謀本部長 |
明治21年11月30日 | 兼臨時砲台建築部長 |
明治22年3月9日 | 臨時砲台建築部長[1] |
明治23年9月29日 | 貴族院議員(勅選議員) |
明治23年10月4日 | 予備役 |
明治24年12月17日 | 依願免本官[2](舌禍事件) |
錦鶏間祗候 | |
大正15年1月29日 | 薨去 |
栄典
明治7年2月18日 | 叙従五位 |
明治15年12月29日 | 勲二等旭日重光章 |
明治18年7月25日 | 叙従四位 |
明治19年10月20日 | 叙従三位 |
明治20年5月23日 | 男爵[3] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治23年2月1日 | ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章佩用允許[4] |
明治35年12月20日 | 叙正三位 |
明治39年4月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金2500円(明治三十七八年事件の功)[5] |
明治40年11月29日 | プロイセン王国赤十字第三等記章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正5年4月1日 | 賜金2500円(大正三四年事件の功)[7] |
大正15年1月29日 | 薨去 叙正二位(特旨)[8] 帝都復興記念章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治22年3月9日休職とあるが明治29年3月11日官報には記載がなかった。
- ↑ 官報第2542号 明治24年12月18日(金曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治22年3月9日子爵とあるが誤り。
- ↑ 官報第1977号 明治23年2月4日(火曜日)
- ↑ 官報第7135号 明治40年4月16日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第4029号 大正15年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1724号 昭和7年9月27日(火曜日)