山内長人
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- やまのうち おさひと
- 山内長人
- 陸軍中将正三位勲一等功四級男爵
- 歩兵
- 神奈川県
- 嘉永3年9月9日 - 昭和6年11月7日
経歴
嘉永3年9月9日 | 生 |
明治5年2月14日 | 任陸軍中尉(初任) |
明治22年11月2日 | 陸軍士官学校次長 |
明治23年8月25日 | 陸軍幼年学校長 |
明治25年12月7日 | 陸軍省大臣官房長心得 |
明治26年8月31日 | 陸軍省高級副官 |
明治26年11月1日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治30年7月12日 | 陸軍省人事課長 |
明治30年9月28日 | 陸軍少将・歩兵第18旅団長 |
明治32年2月10日 | 憲兵司令官 |
明治35年9月16日 | 休職 |
明治37年2月26日 | 留守近衛歩兵第2旅団長 |
明治39年4月12日 | 休職被仰付[1][2] |
明治40年3月2日 | 予備役 |
明治44年7月10日 | 貴族院議員(~昭和4年2月4日) |
大正2年4月1日 | 後備役[3] |
大正6年4月1日 | 退役[4] |
大正14年7月6日 | 宗秩寮審議官 |
昭和6年11月7日 | 薨去[5] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年12月28日 | 叙正六位 |
明治26年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治26年12月16日 | 叙従五位 |
明治28年10月21日 | 功四級金鵄勲章 授旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年10月30日 | 叙正五位 |
明治37年11月29日 | 勲二等瑞宝章[6] |
明治38年2月14日 | 叙従四位[7] |
明治39年4月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金3000円 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治40年4月20日 | 叙正四位(特旨)[9] |
明治40年9月21日 | 依勲功特授男爵[10] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[11] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円(大正三四年事件の功)[12] |
大正5年9月30日 | 叙従三位[13] |
大正9年11月1日 | 金杯一箇ヲ賜フ(大正四年乃至九年事件の功)[14] |
大正15年10月15日 | 叙正三位[15] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇ヲ賜フ(昭和御大礼)[16] |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 山内長人 (第8版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 官報第6833号 明治39年4月13日(金曜日)
- ↑ 休職発令時の職は第2師団司令部附となっている。
- ↑ 官報第201号 大正2年4月4日(金曜日)
- ↑ 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第1461号 昭和6年11月11日(水曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報第6486号 明治38年2月16日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7140号 明治40年4月22日(月曜日)
- ↑ 官報第7272号 明治40年9月23日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第1252号 大正5年10月2日(月曜日)
- ↑ 官報第2712号 大正10年8月15日(月曜日)
- ↑ 官報第4246号 大正15年10月18日(月曜日)
- ↑ 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- ↑ 官報第1724号 昭和7年9月27日(火曜日)