山内靜夫
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- やまのうち しずお
- 山内靜夫
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 工兵
- 士候9 砲工高9
- 東京都
- 明治9年8月3日 - 昭和36年6月6日
経歴
明治9年8月3日 | 生 |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治34年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第9期) |
明治40年7月11日 | 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業 |
交通兵団副官兼陸軍技術審査部議員 | |
大正5年2月22日 | 兼補陸軍砲工学校教官[1] |
大正5年4月1日 | 補交通兵団司令部部員兼陸軍技術審査部議員陸軍砲工学校教官[2] |
大正5年5月2日 | 任陸軍工兵中佐 陸軍技術審査部御用掛ヲ免ス 陸軍技術審査部附兼陸軍砲工学校教官陸軍技術審査部議員被仰付 交通兵団司令部御用掛ヲ命ス[3] |
大正6年5月10日 | 陸軍砲工学校教官兼勤被免 参謀本部御用掛ヲ命ス[4] |
大正7年11月1日 | 陸軍工兵大佐 |
大正8年4月15日 | 補陸軍技術本部部員[5] |
大正8年7月25日 | 陸軍省兵器局器材課長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・陸地測量部長 |
大正13年2月4日 | 陸軍技術本部第2部長 |
昭和2年7月26日 | 築城部本部長 |
昭和3年3月8日 | 陸軍中将 |
昭和7年8月8日 | 待命 |
昭和7年8月30日 | 予備役 |
昭和14年4月1日 | 後備役[6] |
昭和36年6月6日 | 死去 |
栄典
明治37年5月17日 | 叙正七位[7] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治42年7月10日 | 叙従六位[9] |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章[10] |
大正3年7月31日 | 叙正六位[11] |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 大正三四年従軍記章[12] |
大正8年4月30日 | 勲三等瑞宝章[13] |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 賜金3200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[14] |
大正12年11月20日 | 叙正五位[15] |
昭和2年6月20日 | 勲二等瑞宝章[16] |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章[17] |
昭和7年9月22日 | 叙正四位(特旨)[18] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[19] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第1066号 大正5年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第1099号 大正5年4月4日(火曜日)
- ↑ 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- ↑ 官報. 1917年05月11日
- ↑ 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第6267号 明治37年5月24日(火曜日)
- ↑ 官報第7034号 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 官報第7813号 明治42年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第601号 大正3年8月1日(土曜日)
- ↑ 官報第1091号 大正5年3月24日(金曜日)
- ↑ 官報第2021号 大正8年5月1日(木曜日)
- ↑ 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 官報第151号 昭和2年7月1日(金曜日)
- ↑ 官報第2278号 昭和9年8月4日(土曜日)
- ↑ 官報第1723号 昭和7年9月26日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)