山口勝
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- やまぐち かつ
- 山口 勝
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒4
- 静岡県
- 文久2年1月14日 - 昭和13年10月4日
経歴
文久2年1月14日 | 生 |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治32年10月28日 | 陸軍要塞砲兵射撃学校長 |
明治34年7月5日 | 陸軍省軍務局砲兵課長 |
明治35年11月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将 補重砲兵第1旅団長[1] |
大正1年9月28日 | 重砲兵監 |
大正2年7月3日 | 陸軍中将[2] |
大正3年8月8日 | 第10師団長 |
大正5年8月18日 | 第16師団長 |
大正6年8月6日 | 待命 |
大正7年2月16日 | 教育総監部附被仰付[3] |
大正8年4月1日 | 依願予備役被仰付[4][2] |
大正14年4月1日 | 後備役[2] |
昭和13年10月4日 | 薨去 |
栄典
明治18年7月25日 | 叙従七位[5] |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章 |
明治35年4月4日 | フランス共和国三等カンボジア王室勲章佩用允許[6] |
明治36年2月20日 | 叙従五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年12月27日 | 叙正五位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正2年1月30日 | 叙従四位[9] |
大正3年5月16日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年3月1日 | 叙正四位 |
大正4年4月20日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール佩用允許[10] |
大正4年11月7日 | 賜金600円 大正三四年従軍記章[11] |
大正8年4月29日 | 叙従三位(特旨)[12] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和3年4月1日調
- ↑ 官報第1661号 大正7年2月18日(月曜日)
- ↑ 官報第1997号 大正8年4月2日(水曜日)
- ↑ 官報第677号 明治18年10月1日(木曜日)
- ↑ 官報第5634号 明治35年4月19日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第150号 大正2年1月31日(金曜日)
- ↑ 官報第814号 大正4年4月22日(木曜日)
- ↑ 官報第1127号 大正5年5月6日(土曜日)
- ↑ 官報第2020号 大正8年4月30日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)