山口騰一郎
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- やまぐち とういちろう
- 山口騰一郎
- 陸軍大佐正五位勲三等功四級
- 工兵
- 士官生徒4
- 岡山県
- 文久1年12月 -
経歴
- 旧姓「中尾」
- 停年名簿での族籍は明治17年「高知県平民」、明治36年・明治45年「岡山、士」
文久1年12月 | 生 |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治18年5月27日 | 任陸軍工兵中尉[1] |
明治23年11月10日 | 任陸軍工兵大尉[1] |
明治30年11月19日 | 任陸軍工兵少佐 補工兵第8大隊長[2] |
明治31年7月1日 | 補陸地測量部事務官[3] |
明治33年10月25日 | 台湾陸軍補給廠台南支廠長[4] |
明治35年2月1日 | 台湾陸軍補給廠本廠附被仰付[5] |
明治35年2月21日 | 補陸地測量部班長[6] |
明治38年4月19日 | 任陸軍工兵中佐[7] |
明治39年2月19日 | 陸地測量部附被仰付[8] |
明治39年7月23日 | 補工兵第5大隊長[9] |
明治41年2月15日 | 補下関要塞司令部部員[10] |
明治43年11月30日 | 任陸軍工兵大佐 予備被仰付[11][12] |
大正5年3月31日 | 山口県士族から和歌山県士族に族籍変更[13] |
大正8年4月1日 | 退役編入[14] |
栄典
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[15] |
明治28年12月19日 | 勲六等瑞宝章 賜金150円[16] |
明治30年7月10日 | 叙従六位[17] |
明治33年5月31日 | 勲五等瑞宝章[18] |
明治35年10月20日 | 叙正六位[19] |
明治41年2月20日 | 叙従五位[20] |
明治42年12月6日 | 大清帝国二等第二双龍宝星[21] |
明治43年12月27日 | 叙正五位(特旨)[22] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第4318号 明治30年11月20日(土曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第4501号 明治31年7月2日(土曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第5197号 明治33年10月26日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第5572号 明治35年2月3日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第5588号 明治35年2月22日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第6538号 明治38年4月20日(木曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第6790号 明治39年2月20日(火曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第6920号 明治39年7月24日(火曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第7389号 明治41年2月17日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第8234号 明治43年12月1日(木曜日)
- ↑ 12.0 12.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 13.0 13.1 官報第1181号 大正5年7月8日(土曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第2020号 大正8年4月30日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第4029号 明治29年12月2日(水曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報号外 明治28年12月25日(水曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第5072号 明治33年6月1日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第5790号 明治35年10月21日(火曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第7394号 明治41年2月22日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第7940号 明治42年12月10日(金曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第8257号 明治43年12月28日(水曜日)