山川浩
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- やまかわ ひろし
- 山川 浩
- 陸軍少将従三位勲三等男爵
- 歩兵
- 草創期
- 福島県
- 弘化2年11月6日 - 明治31年2月4日
経歴
- 父は会津藩郡奉行主役山川重固、祖父は会津藩家老山川重英
- 姉に女子高等師範学校生徒監山川二葉、弟に東京帝国大学総長男爵山川健次郎
- 妹捨松は元帥陸軍大将公爵大山巖に嫁す
- 養嗣子男爵山川戈登は妹常磐と入夫長崎控訴院検事長山川德治の三男
弘化2年11月6日 | 生 |
明治7年4月21日 | 陸軍中佐 |
明治11年12月14日 | 名古屋鎮台参謀長兼衛戍司令官 |
明治12年4月10日 | 免兼職 |
明治13年4月28日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治15年3月7日 | 工兵第4方面提理 |
明治16年2月11日 | 陸軍省人員局長 |
明治18年5月25日 | 兼補輜重局長[2] |
明治19年3月1日 | 補総務局制規課長[3] |
明治19年3月6日 | 兼任東京師範学校長[4] |
明治19年4月29日 | 兼高等師範学校長(改称) |
明治19年12月23日 | 陸軍少将 |
明治21年12月25日 | 予備役 |
明治23年9月29日 | 貴族院議員(勅選議員) |
明治24年8月13日 | 依願免本官(高等師範学校長) |
明治31年2月4日 | 薨去 |
栄典
明治18年4月7日 | 勲三等旭日中綬章[5] |
明治19年10月28日 | 叙従四位[6] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[7] |
明治24年8月13日 | 叙従三位(特旨)[8][9] |
明治31年1月26日 | 依勲功特授男爵 特旨ヲ以テ華族ニ被列[10] |
明治31年2月12日 | 嗣子山川戈登に家督相続被仰付[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 2.0 2.1 官報第570号 明治18年5月28日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第796号 明治19年3月2日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第801号 明治19年3月8日(月曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第527号 明治18年4月8日(水曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第1003号 明治19年11月1日(月曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第1929号 明治22年12月2日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第2439号 明治24年8月15日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 従四位から従三位に昇叙。
- ↑ 10.0 10.1 官報第4368号 明治31年1月27日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第4382号 明治31年2月14日(月曜日)