山根武亮
ナビゲーションに移動
検索に移動
- やまね たけすけ
- 山根武亮
- 陸軍中将従二位勲一等功二級男爵
- 工兵
- 士官生徒1
- 山口県
- 嘉永6年2月15日 - 昭和3年4月4日
経歴
嘉永6年2月15日 | 生 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年12月22日 | 任陸軍少尉 |
明治27年10月1日 | 第2軍兵站参謀長 |
明治28年8月30日 | 臨時台湾鉄道隊長 |
明治28年11月5日 | 陸軍工兵大佐 |
明治30年9月28日 | 第6師団参謀長 |
明治31年10月1日 | 第12師団参謀長 |
明治33年4月25日 | 陸軍少将・佐世保要塞司令官 |
明治35年8月15日 | 清国公使館附 |
明治36年11月26日 | 参謀本部附 |
明治37年3月11日 | 臨時軍用鉄道監[4] |
明治39年6月11日 | 補下関要塞司令官[5] |
明治39年7月6日 | 陸軍中将 |
明治41年12月21日 | 第8師団長 |
明治45年2月14日 | 補第12師団長(親補)[6][7] |
大正1年11月27日 | 近衛師団長 |
大正4年2月15日 | 後備役 |
大正9年4月1日 | 退役 |
昭和3年4月4日 | 薨去[8] |
栄典
明治12年4月23日 | 勲六等単光旭日章 |
明治13年2月26日 | 叙正八位 |
明治14年7月20日 | 叙従七位 |
明治17年4月24日 | 叙正七位 |
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治26年11月29日 | 勲四等瑞宝章 |
明治27年10月20日 | 叙正六位 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授旭日小綬章 |
明治29年5月15日 | 叙従五位 |
明治29年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年11月25日 | 勲三等瑞宝章 |
明治33年7月10日 | 叙正五位 |
明治37年11月29日 | 勲二等瑞宝章[9] |
明治38年7月20日 | 叙従四位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 授旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[10] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治42年2月1日 | 叙正四位 |
明治42年11月20日 | 勲一等瑞宝章[11] |
明治45年3月1日 | 叙従三位 |
大正4年3月11日 | 叙正三位[12] |
大正4年4月24日 | 授旭日大綬章 |
大正4年11月7日 | 大正三四年戦役従軍記章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[13] |
大正15年3月15日 | 叙従二位[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第2313号 大正9年4月21日(水曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、月尾島支線の件(防衛省防衛研究所)」Ref.C03026655900
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、軍用鉄道監部に三浪津川本橋用鉄桁配給の件(防衛省防衛研究所)」Ref.C03026771000
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、逓信省配属員帰朝方の件(防衛省防衛研究所)」Ref.C03027130400
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では明治38年2月6日鉄道監とあるが、その時期にも臨時軍用鉄道監としている文書がある。[1][2][3]
- ↑ 官報第6885号 明治39年6月13日(水曜日)
- ↑ 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に1月14日とあるのは誤り。
- ↑ 8.0 8.1 官報第381号 昭和3年4月9日(月曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7926号 明治42年11月24日(水曜日)
- ↑ 官報第780号 大正4年3月11日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 薨去時も「退役陸軍中将従二位勲一等功二級男爵」となっている。[8]