山澤靜吾
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- やまざわ せいご
- 山澤靜吾
- 陸軍中将従三位勲二等男爵
- 歩兵
- 草創期
- 鹿児島県
- 弘化2年12月15日 - 明治30年3月30日
経歴
弘化2年12月15日 | 生 |
明治4年3月 | 陸軍少佐 |
明治7年10月12日 | 任陸軍中佐[1] |
明治7年12月25日 | 依願免本官 陸軍省出仕(渡欧)[2] |
明治11年 | 陸軍歩兵中佐 |
明治11年12月18日 | 歩兵第3聯隊長 |
明治15年2月10日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治16年2月12日 | 歩兵第2聯隊長 |
明治17年2月13日 | 近衛歩兵第1聯隊長[3] |
明治18年5月21日 | 任陸軍少将 補歩兵第3旅団長[4] |
明治23年12月5日 | 補歩兵第10旅団長[5] |
明治27年6月14日 | 留守歩兵第9旅団長 |
明治28年1月4日 | 任陸軍中将[6] |
明治28年1月28日 | 補第4師団長[7] |
明治30年3月30日 | 薨去 |
栄典
明治18年7月25日 | 叙正五位[8] |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章[9] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[10] |
明治25年2月13日 | 叙正四位[11] |
明治26年11月29日 | 勲二等瑞宝章[12] |
明治28年12月4日 | 依軍功特授男爵 特旨ヲ以テ華族ニ被列 旭日重光章 年金500円 (明治二十七八年戦役の功)[13] |
明治30年3月30日 | 薨去 叙従三位(特旨)[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 明治新史 7
- ↑ 2.0 2.1 明治新史 7
- ↑ 3.0 3.1 官報第186号 明治17年2月15日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第565号 明治18年5月22日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第2234号 明治23年12月8日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3455号 明治28年1月8日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第3475号 明治28年2月1日(金曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第631号 明治18年8月7日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第735号 明治18年12月11日(金曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1929号 明治22年12月2日(月曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第2584号 明治25年2月15日(月曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第3131号 明治26年12月5日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第3732号 明治28年12月5日(木曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第4120号 明治30年3月31日(水曜日)