橋口勇馬
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- はしぐち ゆうま
- 橋口勇馬
- 陸軍少将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒6
- 鹿児島県士族
- 文久2年3月15日 - 大正7年1月11日
経歴
文久2年3月15日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治27年11月11日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
明治34年4月22日 | 任陸軍歩兵少佐[2][1] |
明治38年3月1日 | 任陸軍歩兵中佐[3][1] |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[1] 補歩兵第62聯隊長[4] |
大正1年11月30日 | 補歩兵第40聯隊長[5] |
大正3年5月11日 | 任陸軍少将[1] 補歩兵第13旅団長[6] |
大正6年8月6日 | 待命被仰付[7] |
大正6年12月1日 | 予備役被仰付[8] |
大正7年1月11日 | 卒去[9] |
栄典
明治22年7月15日 | 叙従七位[10] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[11] |
明治27年12月18日 | 叙正七位[12] |
明治28年12月20日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[13] |
明治34年10月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章[14] |
明治35年5月1日 | ロシア帝国聖アンナ剣附第三等勲章佩用允許[15] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[16] |
明治36年3月9日 | 大清帝国二等第三双龍宝星[17] |
明治36年12月12日 | イタリア王国四等王冠勲章佩用允許[18] |
明治38年4月7日 | 叙正六位[19] |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章[20] |
功三級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章 | |
明治40年12月27日 | 叙従五位[21] |
大正2年2月10日 | 叙正五位[22] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[23] |
大正5年11月29日 | 勲二等瑞宝章[24] |
大正6年12月28日 | 叙従四位(特旨)[25] |
大正7年1月13日 | 葬送ニ付勅使日根野要吉郎差遣、幣帛下賜[26] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第5338号 明治34年4月23日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第6499号 明治38年3月3日(金曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第102号 大正1年12月2日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1601号 大正6年12月3日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第1639号 大正7年1月22日(火曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第1820号 明治22年7月24日(水曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第3444号 明治27年12月19日(水曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第3749号 明治28年12月25日(水曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第5487号 明治34年10月15日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第5650号 明治35年5月8日(木曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第5828号 明治35年12月5日(金曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第5950号 明治36年5月6日(水曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第6149号 明治36年12月29日(火曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第6531号 明治38年4月12日(水曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第159号 大正2年2月12日(水曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第1299号 大正5年11月30日(木曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第1624号 大正6年12月29日(土曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第1632号 大正7年1月14日(月曜日)