山田弘倫
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- やまだ ひろとも
- 山田弘倫
- 陸軍軍医中将従三位勲二等功四級医学博士
- 衛生部
- 岡山県
- 明治2年3月11日 - 昭和30年4月6日
経歴
明治2年3月11日 | 生 |
明治31年5月16日 | 任陸軍三等軍医 |
明治37年12月10日 | 任陸軍三等軍医正 |
陸軍軍医学校教官 | |
明治42年3月24日 | 任陸軍二等軍医正 東京第1衛戍病院御用掛兼勤ヲ免ス 補豊橋衛戍病院長[1] |
明治43年10月5日 | 補陸軍省医務局衛生課長 臨時脚気病調査会幹事ヲ命ス 戦用炊具審査委員ヲ命ス[2] |
大正2年2月21日 | 陸軍一等軍医正 |
大正6年8月6日 | 陸軍軍医監・第12師団軍医部長 |
大正7年6月1日 | 第1師団軍医部長 |
大正9年1月30日 | 朝鮮軍軍医部長 |
大正11年5月10日 | 陸軍軍医総監・陸軍軍医学校長 |
大正12年3月17日 | 陸軍省医務局長 |
昭和3年12月21日 | 依願予備役被仰付[3] |
昭和7年4月1日 | 後備役 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和30年4月6日 | 死去 |
栄典
大正6年8月30日 | 叙正五位[4] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[5] |
大正9年12月25日 | 勲二等瑞宝章 賜金600円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] |
昭和4年1月15日 | 叙従三位 |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[7] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第639号 昭和4年2月18日(月曜日)