山田陸槌
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- やまだ りくつち
- 山田陸槌
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 工兵
- 士候1 陸大13
- 福岡県
- 明治2年8月26日 - 昭和15年2月10日
経歴
明治2年8月26日 | 生 |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期) |
明治35年1月21日 | 任陸軍工兵少佐[1] |
明治38年4月19日 | 任陸軍工兵中佐[1]・東宮武官 |
明治42年5月24日 | 参謀本部通信課長 |
明治43年10月10日 | 任陸軍工兵大佐[1] |
大正2年3月4日 | 鉄道聯隊長 |
大正3年8月28日 | 臨時鉄道聯隊長(青島) |
大正4年2月15日 | 青島守備軍参謀 |
大正4年8月10日 | 任陸軍少将[1]・舞鶴要塞司令官 |
大正6年8月6日 | 台湾総督府参謀長 |
大正7年8月19日 | 交通兵団長 |
大正8年4月15日 | 近衛師団司令部附 |
大正8年7月25日 | 任陸軍中将[1][2]・工兵監 |
大正10年6月15日 | 第5師団長 |
大正12年8月6日 | 待命 |
大正12年9月1日 | 予備役[2] |
昭和7年4月1日 | 後備役[2] |
昭和11年4月1日 | 退役 |
昭和15年2月10日 | 死去 |
栄典
明治25年2月3日 | 叙正八位 |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
功四級金鵄勲章 | |
大正4年11月7日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 大正三四年従軍記章[3] |
大正5年8月28日 | 勲二等瑞宝章[4] |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[5] |
大正9年時点 | 勲三等旭日中綬章[1] |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金2300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] |
大正10年9月30日 | 叙正四位 |
大正11年8月29日 | 勲一等瑞宝章 |
大正12年10月30日 | 叙従三位(特旨)[7] |
昭和3年5月29日 | ポーランド共和国ダルシャン・ヴィルッチ・ミリタリ勲章佩用允許 |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2132号 大正8年9月11日(木曜日)
- 官報第427号 昭和3年6月1日(金曜日)
- 官報第2805号 昭和11年5月12日(火曜日)