峰尾甲一
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- みねお こういち
- 峰尾甲一
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候14
- 神奈川県
- 明治15年11月9日 -
経歴
- 昭和9年実役停年名簿・昭和2年3月16日官報では「峰尾」、昭和2年実役停年名簿では「峯尾」。
明治15年11月9日 | 生[1] |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正9年8月10日 | 任陸軍砲兵少佐 補鎮海湾重砲兵大隊附[2] |
大正9年12月1日 | 馬山重砲兵大隊附(改称)[3] |
大正11年8月15日 | 補陸軍重砲兵学校教官兼同校研究部部員[3][4] |
大正12年8月6日 | 補陸軍重砲兵学校研究部主事兼同校教官[4][5] |
大正14年5月1日 | 補陸軍重砲兵学校教官兼同校研究部部員[5][6] |
大正14年8月7日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正15年3月2日 | 補野戦重砲兵第8聯隊附[6][7] |
昭和2年3月15日 | 補下関重砲兵聯隊附[7] |
昭和3年3月8日 | 補佐世保重砲兵大隊長[8] |
昭和5年3月6日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
昭和6年3月11日 | 補台湾軍兵器部長[9] |
昭和8年8月1日 | 補大阪陸軍兵器支廠長[10] |
昭和9年12月10日 | 任陸軍少将[11][12] 待命被仰付[11] |
昭和9年12月27日 | 予備役被仰付[13][14] |
栄典
昭和5年9月1日 | 叙正五位[15] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[16] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- ↑ 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第4054号 大正15年3月3日(水曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第61号 昭和2年3月16日(水曜日)
- ↑ 官報第357号 昭和3年3月9日(金曜日)
- ↑ 官報第1258号 昭和6年3月12日(木曜日)
- ↑ 官報第1976号 昭和8年8月2日(水曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第2384号 昭和9年12月11日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和10年3月15日とあるのは誤り。
- ↑ 官報. 1934年12月28日
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和10年3月15日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1167号 昭和5年11月18日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)