島川文八郎
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- しまかわ ぶんはちろう
- 島川文八郎
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士官生徒7
- 三重県士族
- 元治1年3月10日 - 大正10年7月16日
経歴
元治1年3月10日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年5月1日 | 陸軍砲兵大佐・野砲兵第3聯隊長 |
明治38年5月1日 | 陸軍技術審査部審査官 |
明治40年11月13日 | 補陸軍省軍務局砲兵課長[1] |
明治41年12月21日 | 陸軍省兵器局長心得被仰付 |
明治42年1月28日 | 任陸軍少将 補陸軍省兵器局長 |
大正2年7月3日 | 陸軍技術審査部長 |
大正3年5月11日 | 陸軍中将 |
大正8年4月15日 | 補陸軍技術本部長 陸軍技術会議議員被仰付 |
大正8年11月25日 | 陸軍大将・待命 |
大正9年3月8日 | 予備役 |
大正10年7月16日 | 薨去 叙正三位(特旨) |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正八位 |
明治23年1月17日 | 叙従七位 |
明治24年12月28日 | 叙正七位 |
明治28年9月20日 | 叙従六位 |
明治28年10月21日 | 功五級金鵄勲章 勲六等瑞宝章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年11月30日 | 勲五等瑞宝章[2] |
明治34年10月4日 | プロイセン王国二等王冠勲章佩用允許 |
明治35年8月4日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシェ佩用允許 |
明治36年7月31日 | 叙従五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治42年3月20日 | 叙正五位 |
大正3年4月30日 | 叙従四位[4] |
大正3年11月30日 | 勲二等瑞宝章[5] |
大正4年11月7日 | 勲一等瑞宝章 賜金1700円 大正三四年従軍記章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正8年6月10日 | 叙正四位 |
大正9年3月11日 | 叙従三位 |
大正9年11月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金2800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] |
大正10年7月16日 | 薨去 叙正三位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- 官報第7676号 明治42年1月29日(金曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)