工藤義雄
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- くどう よしお
- 工藤義雄
- 陸軍少将従四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士候17 陸大27
- 岡山県
- 明治18年1月7日 - 昭和15年11月30日
経歴
- 工藤敏夫の二男
明治18年1月7日 | 生 |
明治38年3月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候17) |
明治38年4月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
昭和2年2月22日 | 参謀本部作戦課作戦班長 |
昭和3年8月10日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第6聯隊長 |
昭和6年3月11日 | 教育総監部庶務課長 |
昭和7年4月11日 | 教育総監部第2課長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍少将・陸軍兵器本廠附 |
昭和9年3月5日 | 軍事調査部長 |
昭和10年3月15日 | 歩兵第2旅団長 |
昭和11年3月23日 | 待命 |
昭和11年7月10日 | 予備役 |
昭和12年9月1日 | 臨時召集応召就職 |
昭和12年9月3日 | 歩兵第102旅団長 |
昭和13年8月30日[1] | 召集解除 |
満洲国赤十字社理事長 | |
昭和15年11月30日 | 卒去 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲六等瑞宝章 賜金200円 明治三十七八年従軍記章 |
昭和8年9月1日 | 叙正五位 |
昭和9年4月29日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
昭和15年11月30日 | 卒去 叙従四位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A11114987900、故陸軍少将工藤義雄位階追陞ノ件(国立公文書館)」Ref.A11114987900
- ↑ 「故陸軍少将工藤義雄位階追陞ノ件」では8月30日、『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では11月9日。
- ↑ 2.0 2.1 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)