志岐守治
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- しぎ もりはる
- 志岐守治
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候1 陸大13
- 鹿児島県
- 明治4年4月1日 - 昭和21年12月16日
経歴
明治4年4月1日 | 生[1] |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期) |
明治42年11月30日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治42年12月25日 | 歩兵第21聯隊長 |
明治45年1月19日 | 第4師団参謀長 |
大正2年4月16日 | 補教育総監部第2課長兼陸軍将校生徒試験常置委員主事 参謀ト心得ヘシ[2] |
大正4年2月15日 | 陸軍少将・歩兵第27旅団長 |
大正7年9月25日 | 関東軍兵站監 |
大正8年1月15日 | 任陸軍中将[1] |
大正8年4月1日 | 浦塩派遣軍兵站部長 |
大正8年11月25日 | 第16師団長 |
大正12年8月6日 | 待命 |
大正12年9月1日 | 予備役[1] |
昭和7年9月 | 國民新聞社長(~昭和11年12月) |
昭和9年4月1日 | 後備役[3] |
昭和14年4月1日 | 退役[4] |
昭和21年12月16日 | 死去 |
栄典
明治30年12月15日 | 叙正七位 |
大正7年7月15日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許 |
大正9年11月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲一等旭日大綬章 賜金1700円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] 戦捷記章[6] |
大正12年10月30日 | 叙従三位(特旨)[7] |
昭和9年時点 | 勲二等瑞宝章 オーストリア二等フランツ・ヨーゼフ勲章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)