成田正峰
ナビゲーションに移動
検索に移動
- なりた まさたか
- 成田正峰[1]
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒7
- 鹿児島県
- 慶応1年2月28日 - 昭和17年
経歴
慶応1年2月28日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年5月1日 | 補東京陸軍兵器支廠長 |
明治38年4月19日 | 陸軍砲兵大佐 |
野砲兵第16聯隊長 | |
明治39年4月19日 | 補野砲兵第13聯隊長 |
明治45年7月15日 | 任陸軍少将 補野砲兵第3旅団長 |
大正2年7月3日 | 野砲兵第1旅団長 |
大正5年8月18日 | 補野戦砲兵監 |
大正6年8月6日 | 陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
大正8年7月25日 | 待命 |
大正8年11月1日 | 予備役 |
昭和3年4月1日 | 後備役 |
昭和7年4月1日 | 退役 |
昭和17年 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年7月11日 | 叙正五位 |
大正2年2月17日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシェー佩用允許 |
大正4年8月10日 | 叙従四位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[2] |
大正6年6月26日 | 勲二等瑞宝章 |
大正8年11月29日 | 叙正四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- 官報第5947号 明治36年5月2日(土曜日)
- 官報第6839号 明治39年4月20日(金曜日)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- 官報. 1912年07月16日
- 官報第165号 大正2年2月19日(水曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1471号 大正6年6月27日(水曜日)
- 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- 官報第2198号 大正8年12月1日(月曜日)
- 官報第1619号 昭和7年5月26日(木曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 明治45年7月16日官報では「正峯」、明治36年実役停年名簿・大正5年8月19日官報では「正峰」
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)