川村景明
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- かわむら かげあき
- 川村景明
- 元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵
- 歩兵
- 鹿児島県
- 嘉永3年2月26日 - 大正15年4月28日
経歴
嘉永3年2月26日 | 生 |
明治5年7月23日 | 任陸軍少尉 |
明治6年11月30日 | 任陸軍中尉 |
明治7年4月26日 | 任陸軍大尉 |
明治10年4月11日 | 任陸軍少佐 |
明治15年2月25日 | 歩兵第4聯隊長 |
明治15年2月28日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治18年5月21日 | 熊本鎮台参謀長 |
明治19年4月23日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治21年5月14日 | 第6師団参謀長 |
明治22年3月12日 | 参謀本部第1局長 |
明治24年6月1日 | 任陸軍少将・歩兵第8旅団長 |
明治27年8月27日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
明治30年10月27日 | 任陸軍中将・第1師団長 |
明治34年4月2日 | 第10師団長 |
明治37年4月3日 | 日露戦争出征 |
明治38年1月15日 | 陸軍大将・鴨緑江軍司令官 |
明治39年1月26日 | 軍事参議官 |
明治39年4月11日 | 兼補東京衛戍総督 |
明治39年8月27日 | 専補東京衛戍総督 |
明治41年12月21日 | 補軍事参議官兼東京衛戍総督 |
大正2年8月22日 | 免兼職(東京衛戍総督) |
大正4年1月9日 | 元帥[1][2] |
大正8年12月1日 | 在郷軍人会会長 |
大正11年 | 議定官[3] |
大正15年4月28日 | 薨去 叙従一位(特旨) 大勲位菊花大綬章 |
栄典
明治7年6月14日 | 叙正七位 |
明治11年1月31日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治15年3月31日 | 叙従六位 |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治19年7月8日 | 叙従五位 |
明治24年6月13日 | 叙従四位[4][5] |
明治28年12月4日 | 男爵 功三級金鵄勲章 勲二等瑞宝章 |
明治30年3月22日 | 叙正四位 |
明治35年4月30日 | 叙従三位 |
明治37年5月27日 | 勲一等瑞宝章 |
明治38年5月11日 | 叙正三位 |
明治39年4月1日 | 功一級金鵄勲章(年金1599円) 授旭日桐花大綬章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治40年9月21日 | 子爵 |
明治43年5月21日 | 叙従二位[7] |
大正4年1月9日 | 元帥[1][2] |
大正4年11月7日 | 金杯一組 大正三四年従軍記章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正6年5月30日 | 叙正二位 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[10] |
大正15年4月28日 | 薨去 叙従一位(特旨) 大勲位菊花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6832号 明治39年4月12日(木曜日)
- 官報第6950号 明治39年8月28日(火曜日)
- 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 1.0 1.1 官報第730号 大正4年1月11日(月曜日)
- ↑ 2.0 2.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正3年とあるが、大正4年の誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正2年8月22日との記載があるが、大正2年8月23日官報で見つけられなかった。職員録では大正10年まで議定官に川村の名はないが大正11年には記載がある。
- ↑ 官報第2388号 明治24年6月17日(水曜日)
- ↑ 従五位から正五位を経ずに従四位に叙されている。
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8073号 明治43年5月23日(月曜日)
- ↑ 官報第1187号 大正5年7月15日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)