星野庄三郎
(星野庄三郞から転送)
- ほしの しょうざぶろう
- 星野庄三郎
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 工兵
- 士候2 陸大14
- 新潟県
- 明治2年5月6日 - 昭和6年1月22日
経歴
明治2年5月6日 | 生 |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治41年12月21日 | 工兵第18大隊長 |
明治43年11月30日 | 陸軍工兵大佐 |
大正1年9月28日 | 参謀本部要塞課長 |
大正5年8月18日 | 任陸軍少将 補参謀本部第3部長 鉄道会議議員被仰付[1] |
大正6年8月23日 | 臨時軍用気球研究会委員被仰付[2] |
大正8年7月25日 | 鉄道会議議員被免[3] 浦塩派遣軍野戦交通部長 |
大正8年11月1日 | 陸軍中将 |
大正9年10月28日 | 参謀本部附 |
大正10年3月11日 | 陸軍大学校長 |
大正11年2月8日 | 補航空局長官[4] |
大正11年11月24日 | 第9師団長 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役 |
昭和6年1月22日 | 死去[5] |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[6] |
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[7] |
功四級金鵄勲章 | |
大正8年10月25日 | 勲二等瑞宝章 |
大正8年11月21日 | 叙従四位[8] |
大正9年11月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲一等旭日大綬章 賜金1700円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] 戦捷記章[10] |
大正11年8月29日 | チェコスロバキア共和国菩提樹一枝附戦争十字章佩用允許 |
大正14年6月24日 | 叙従三位(特旨)[11] |
大正14年7月11日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[12] |
昭和2年2月1日 | ポーランド復興星附コマンドルスキ十字勲章佩用允許[13] |
昭和5年7月24日 | ルーマニア王国1916年乃至1918年戦役従軍記念十字章佩用允許[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第3027号 大正11年9月2日(土曜日)
- ↑ 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- ↑ 官報第1520号 大正6年8月24日(金曜日)
- ↑ 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- ↑ 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- ↑ 官報第1236号 昭和6年2月14日(土曜日)
- ↑ 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第2191号 大正8年11月22日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3888号 大正14年8月8日(土曜日)
- ↑ 官報第3868号 大正14年7月15日(水曜日)
- ↑ 官報第29号 昭和2年2月3日(木曜日)
- ↑ 官報第1073号 昭和5年7月28日(月曜日)