木越安綱
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- きごし やすつな
- 木越安綱
- 陸軍中将正二位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 士官生徒1
- 石川県
- 嘉永7年3月25日 - 昭和7年3月26日
経歴
嘉永7年3月25日 | 生 |
明治7年9月 | 陸軍教導団卒・陸軍軍曹・熊本鎮台附 |
明治8年2月 | 陸軍士官学校入 |
明治10年12月22日 | 任陸軍少尉 |
明治27年7月31日 | 第3師団参謀長心得 |
明治27年11月16日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治30年10月8日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
明治31年3月3日 | 陸軍少将・台湾陸軍補給廠長 |
明治31年10月1日 | 補台湾総督府幕僚参謀長兼台湾陸軍補給廠長[1] |
明治33年4月25日 | 陸軍省軍務局長 |
明治34年2月18日 | 補歩兵第23旅団長[2] |
明治37年2月5日 | 兼韓国臨時派遣隊司令官 |
明治37年10月13日 | 陸軍中将 |
明治37年11月2日 | 第5師団長 |
明治42年9月3日 | 第6師団長 |
明治44年9月6日 | 第1師団長 |
大正1年12月21日 | 任陸軍大臣[3] |
大正2年6月24日 | 待命 |
大正3年6月25日 | 休職 |
大正5年3月25日 | 後備役 |
大正9年5月 | 貴族院議員 |
大正10年4月1日 | 退役[4] |
昭和7年3月26日 | 薨去 |
栄典
明治13年2月20日 | 叙正八位 |
明治13年7月21日 | 叙従七位 |
明治16年4月9日 | 叙正七位 |
明治22年5月13日 | 勲六等瑞宝章 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治23年7月3日 | 叙従六位 |
明治26年4月11日 | 叙正六位 |
明治27年5月29日 | 勲五等瑞宝章[5] |
明治28年2月13日 | 叙従五位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 授双光旭日章[6] |
明治31年4月30日 | 叙正五位 |
明治31年5月23日 | 勲四等瑞宝章 |
明治33年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
明治34年12月27日 | 勲二等瑞宝章 |
明治36年7月10日 | 叙従四位 |
明治38年7月20日 | 叙正四位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治40年9月21日 | 男爵 |
明治41年8月20日 | 叙従三位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正1年12月28日 | 叙正三位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正5年4月10日 | 叙従二位 |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[10] |
大正12年1月10日 | 七十歳ノ高齢ニ付御紋付銀盃並ニ酒肴料下賜[11] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
昭和7年3月26日 | 薨去 叙正二位[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 木越安綱 - Wikipedia
- ↑ 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 官報第5286号 明治34年2月19日(火曜日)
- ↑ 官報号外 大正1年12月21日(土曜日)
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報第3273号 明治27年5月30日(水曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2859号 大正11年2月15日(水曜日)
- ↑ 官報第3132号 大正12年1月12日(金曜日)
- ↑ 官報第1571号 昭和7年3月29日(火曜日)