木越專八
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- きごし せんはち
- 木越專八
- 陸軍少将従三位勲三等功五級男爵
- 砲兵
- 士候12 砲工高12 陸大23
- 東京府華族
- 明治13年10月25日 -
経歴
明治13年10月25日 | 生[1] |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年11月18日 | 任陸軍砲兵中尉[2] |
明治38年6月27日 | 任陸軍砲兵大尉[2] |
明治39年12月21日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第12期) |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正3年8月10日 | 任陸軍砲兵少佐[2] |
野砲兵第3聯隊大隊長 | |
大正5年7月25日 | 補第11師団参謀[3] |
大正7年6月1日 | 俘虜情報局事務官被仰付[4] |
大正7年12月1日 | 任陸軍砲兵中佐[2] |
大正11年8月15日 | 野砲兵第1聯隊附被仰付[5] |
大正12年3月17日 | 補野砲兵第1聯隊附[6] |
大正12年8月6日 | 任陸軍砲兵大佐 補広島陸軍兵器支廠長[7] |
大正14年5月1日 | 野砲兵第20聯隊長 |
昭和3年3月8日 | 任陸軍少将[1]・待命 |
昭和3年3月29日 | 予備役[1] |
昭和14年4月1日 | 後備役[8] |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[9] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[10] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[11] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[12] |
明治40年12月21日 | 叙従五位 (正七位から従五位に昇叙)[13] |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章[14] |
大正8年1月20日 | 叙正五位[15] |
大正8年6月28日 | 勲四等瑞宝章[16] |
大正13年1月30日 | 叙従四位[17] |
昭和3年4月28日 | 叙正四位[18] |
昭和7年4月15日 | 襲爵被仰付(男爵)[19] |
昭和14年5月1日 | 叙従三位[20] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 2.2 2.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第1196号 大正5年7月26日(水曜日)
- ↑ 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- ↑ 官報第3013号 大正11年8月16日(水曜日)
- ↑ 官報第3188号 大正12年3月19日(月曜日)
- ↑ 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第7030号 明治39年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第7347号 明治40年12月23日(月曜日)
- ↑ 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- ↑ 官報第1938号 大正8年1月21日(火曜日)
- ↑ 官報第2071号 大正8年6月30日(月曜日)
- ↑ 官報第3429号 大正13年1月31日(木曜日)
- ↑ 官報第412号 昭和3年5月15日(火曜日)
- ↑ 官報第1587号 昭和7年4月16日(土曜日)
- ↑ 官報第3752号 昭和14年7月10日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)