本庄庸三
ナビゲーションに移動
検索に移動
- ほんじょう ようぞう
- 本庄庸三
- 陸軍少将正四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候10
- 佐賀県
- 明治11年8月30日 - 昭和20年1月5日
経歴
明治11年8月30日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正6年12月1日 | 補野砲兵第21聯隊附 |
大正7年7月24日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正9年12月1日 | 補陸軍兵器本廠附 |
大正12年8月6日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
大正13年12月15日 | 補野砲兵第4聯隊長 |
昭和3年3月8日 | 陸軍少将・豊予要塞司令官 |
昭和4年8月1日 | 陸軍工科学校長 |
昭和5年8月1日 | 待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役 |
昭和20年1月5日 | 死去 |
栄典
昭和5年9月26日 | 叙正四位(特旨) |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1601号 大正6年12月3日(月曜日)
- 官報第2501号 大正9年12月2日(木曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報第3696号 大正13年12月16日(火曜日)
- 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に3月17日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)