本郷房太郎
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- ほんごう ふさたろう
- 本郷房太郎
- 陸軍大将正二位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒3
- 兵庫県
- 万延1年1月24日 - 昭和6年3月20日
経歴
万延1年1月24日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年5月15日 | 歩兵第42聯隊長 |
明治35年11月15日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治37年9月17日 | 陸軍省高級副官 |
明治38年7月18日 | 任陸軍少将[1] 俘虜情報局長官被仰付 陸軍省副官事務取扱兼勤被仰付[2] |
明治38年9月5日 | 俘虜情報局長官被免 補陸軍省人事局長(陸軍省副官事務取扱兼勤如故) 俘虜情報局長官兼勤被仰付 文官普通試験委員長 文官普通懲戒委員 陸軍勲功調査委員被仰付[3] |
明治39年2月28日 | 陸軍省副官事務取扱兼勤被免[4] |
明治42年9月3日 | 教育総監部本部長 |
明治45年4月12日 | 陸軍中将 |
大正2年5月7日 | 任陸軍次官 叙高等官一等[5] |
大正3年4月17日 | 第17師団長 |
大正5年8月18日 | 第1師団長 |
大正6年8月6日 | 青島守備軍司令官 |
大正7年7月2日 | 陸軍大将 |
大正7年10月10日 | 軍事参議官 |
大正10年6月25日 | 予備役 |
昭和6年3月20日 | 薨去 |
栄典
明治13年5月31日 | 叙正八位 |
明治18年7月25日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[6] |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治26年11月29日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年11月15日 | 叙従六位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年5月5日 | 勲五等双光旭日章 |
明治32年11月20日 | 叙正六位 |
明治36年2月20日 | 叙従五位 |
明治36年5月16日 | 勲四等瑞宝章 |
明治37年12月2日 | 大清帝国第二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治38年9月6日 | 叙正五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治43年9月30日 | 叙従四位 |
大正3年4月30日 | 叙正四位[8] |
大正3年11月30日 | 勲一等瑞宝章[9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
大正6年5月21日 | 叙従三位 |
大正7年10月28日 | 授旭日大綬章 |
大正9年6月10日 | 叙正三位 |
大正9年11月1日 | 賜金1500円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正10年7月11日 | 叙従二位(特旨)[12] |
昭和6年3月20日 | 薨去 叙正二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 本郷房太郎 - Wikipedia
- ↑ 官報第6615号 明治38年7月19日(水曜日)2コマ
- ↑ 官報第6615号 明治38年7月19日(水曜日)12コマ
- ↑ 官報第6659号 明治38年9月8日(金曜日)
- ↑ 官報第6798号 明治39年3月1日(木曜日)
- ↑ 官報第230号 大正2年5月8日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 官報第700号 大正3年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2684号 大正10年7月12日(火曜日)