村岡恒利
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- むらおか つねとし
- 村岡恒利
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士官生徒7
- 京都府
- 慶応1年7月 - 大正10年12月
経歴
慶応1年7月 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治37年2月10日 | 東京湾要塞砲兵聯隊長 |
明治37年11月2日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治39年4月12日 | 補東京湾要塞砲兵聯隊長[1] |
明治40年10月21日 | 重砲兵第1聯隊長 |
明治41年12月21日 | 陸軍技術審査部審査官 |
明治43年11月30日 | 陸軍少将・大阪砲兵工廠提理 |
大正4年2月15日 | 任陸軍中将[2] |
大正8年4月15日 | 陸軍技術会議議員被仰付[3] |
大正8年11月25日 | 陸軍技術本部長 |
大正9年8月10日 | 待命 |
大正9年12月1日 | 予備役 |
大正10年12月 | 薨去 |
栄典
明治35年2月20日 | 叙正六位[4] |
大正4年3月10日 | 叙従四位[5] |
大正4年3月29日 | 勲二等瑞宝章[6] |
大正4年11月7日 | 授旭日重光章 賜金2300円 大正三四年従軍記章[7] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[8] |
大正9年11月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金3300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] 戦捷記章[10] |
大正9年12月28日 | 叙従三位(特旨)[11][12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第6833号 明治39年4月13日(金曜日)
- ↑ 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第780号 大正4年3月11日(木曜日)
- ↑ 官報第795号 大正4年3月30日(火曜日)
- ↑ 官報第1190号 大正5年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2524号 大正9年12月29日(水曜日)
- ↑ この時は勲二等だが、勲一等旭日大綬章に叙されたのは大正10年4月19日官報でのことで、大正9年11月1日に遡って叙された。