筑紫熊七
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- つくし くましち
- 筑紫熊七
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士官生徒9
- 熊本県
- 文久3年1月25日 - 昭和19年1月21日
経歴
文久3年1月25日 | 生[1] |
明治20年7月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治37年5月21日 | 任陸軍砲兵中佐[2] |
明治38年12月20日 | 陸軍要塞砲兵射撃学校教官 |
明治40年10月28日 | 陸軍要塞砲兵射撃学校長 |
明治40年11月13日 | 任陸軍砲兵大佐[2] |
明治41年1月15日 | 陸軍重砲兵射撃学校長(改称) |
大正2年7月3日 | 陸軍少将・陸軍省兵器局長 |
大正6年8月6日 | 任陸軍中将[1]・重砲兵監 |
大正7年11月1日 | 陸軍省兵器局長 |
大正10年5月4日 | 補陸軍技術本部長[3] |
大正11年8月15日 | 待命 |
大正12年3月23日 | 予備役[1] |
大正15年4月1日 | 後備役[1] |
昭和5年4月1日 | 退役[4] |
昭和19年1月21日 | 薨去 |
栄典
明治23年10月15日 | 叙正八位 |
明治25年1月27日 | 叙従七位 |
明治27年12月18日 | 叙正七位 |
明治29年5月5日 | 勲六等瑞宝章 |
明治32年12月20日 | 叙従六位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 プロイセン王国二等王冠勲章[2] |
大正2年1月30日 | 叙正五位 |
大正4年11月7日 | 勲二等旭日重光章 賜金2500円 大正三四年従軍記章[5] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正6年8月30日 | 叙従四位[7] |
大正7年6月18日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[8] |
大正9年11月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金4000円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[9] 戦捷記章[10] |
大正12年4月20日 | 叙正四位(特旨)[11] |
昭和3年時点 | 大英帝国二等聖マイケル・聖ジョージ勲章 フランス共和国二等レジオンドヌール勲章 ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章 |
昭和12年2月23日 | 金杯一組 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和12年5月2日 | 満洲国勲一位龍光大綬章佩用允許 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
昭和19年1月21日 | 薨去 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3068号 昭和12年3月27日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和3年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第2626号 大正10年5月5日(木曜日)
- ↑ 官報第988号 昭和5年4月18日(金曜日)
- ↑ 官報第1190号 大正5年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1526号 大正6年9月1日(土曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3215号 大正12年4月21日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)