柴勝三郎
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- しば かつさぶろう
- 柴 勝三郎
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒7 陸大6
- 茨城県
- 文久3年12月18日 - 昭和13年1月19日
経歴
文久3年12月18日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年11月20日 | 陸軍大学校入学 |
明治21年11月16日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治23年12月23日 | 陸軍大学校卒業(第6期) |
明治27年9月25日 | 任陸軍歩兵大尉 |
明治32年11月22日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治37年2月11日 | 大本営参謀 |
明治37年3月10日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治37年8月14日 | 遼東守備軍参謀 |
明治38年3月1日 | 第4軍参謀副長 |
明治39年1月20日 | 教育総監部参謀 |
明治39年12月14日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治41年12月21日 | 教育総監部第1課長 |
明治42年8月1日 | 近衛歩兵第3聯隊長 |
明治43年11月30日 | 任陸軍少将・朝鮮駐箚軍参謀長 |
大正1年9月28日 | 関東都督府参謀長 |
大正1年12月26日 | 陸軍省軍務局長 |
大正4年2月15日 | 陸軍中将 |
大正4年6月4日 | 第18師団長 |
大正8年7月25日 | 待命被仰付[1] |
大正9年2月2日 | 予備役被仰付[2] |
大正15年4月1日 | 後備役[3] |
昭和13年1月19日 | 薨去[4] |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正八位[5] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[6] |
明治23年12月26日 | 叙従七位[7] |
明治27年12月18日 | 叙正七位[8] |
明治28年10月31日 | 勲六等単光旭日章 年金84円 (明治二十七八年戦役の功)[9] |
明治34年12月28日 | 勲四等瑞宝章 賜金400円 (明治三十三年清国事変の功)[10] |
明治37年4月29日 | 叙正六位[11] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[12] |
明治40年2月12日 | 叙従五位 |
明治44年2月10日 | 叙正五位[13] |
大正4年1月30日 | 勲二等瑞宝章[14] |
大正4年3月10日 | 叙従四位[15] |
大正4年11月7日 | 旭日重光章 賜金2900円 大正三四年従軍記章[16] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[17] |
大正6年3月30日 | 叙正四位[18] |
大正7年7月15日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[19] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[20] |
大正9年2月28日 | 叙従三位(特旨)[21] |
大正9年11月1日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章[22] |
大正10年5月30日 | 銀杯一箇 (陸軍治罪法及海軍治罪法改正ニ関シ尽力尠カラス)[23] |
昭和13年1月19日 | 薨去[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- ↑ 官報第2248号 大正9年2月3日(火曜日)
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 4.0 4.1 官報第3342号 昭和13年2月25日(金曜日)
- ↑ 官報第710号 明治18年11月11日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報号外 明治23年12月28日(日曜日)
- ↑ 官報第3444号 明治27年12月19日(水曜日)
- ↑ 官報第3709号 明治28年11月7日(木曜日)
- ↑ 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第6247号 明治37年4月30日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- ↑ 官報第8290号 明治44年2月13日(月曜日)
- ↑ 官報第748号 大正4年2月1日(月曜日)
- ↑ 官報第780号 大正4年3月11日(木曜日)
- ↑ 官報第1190号 大正5年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1397号 大正6年3月31日(土曜日)
- ↑ 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2270号 大正9年3月1日(月曜日)
- ↑ 官報第3008号 大正11年8月10日(木曜日)
- ↑ 官報第2648号 大正10年5月31日(火曜日)