栗田直八郎
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- くりた なおはちろう
- 栗田直八郎
- 陸軍中将正三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士官生徒8 陸大8
- 三重県
- 万延1年12月16日 - 大正15年8月31日
経歴
万延1年12月16日 | 生 |
明治19年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治22年12月2日 | 陸軍大学校入学 |
明治25年12月2日 | 陸軍大学校卒業(第8期) |
明治37年2月5日 | 第1軍参謀 |
明治37年3月10日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治38年8月8日 | 第6師団参謀長 |
明治39年7月11日 | 参謀本部高級副官 |
明治39年12月14日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治40年頃 | 皇族附武官 |
明治43年3月9日 | 第1師団司令部附兼皇族附武官被仰付 邦彦王附属被仰付 |
明治43年5月14日 | 第1師団司令部附兼皇族附武官被免 補歩兵第42聯隊長[2] |
明治43年11月30日 | 陸軍少将・歩兵第35旅団長 |
大正1年11月27日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
大正3年11月26日 | 教育総監部本部長 |
大正4年2月15日 | 陸軍中将 |
大正5年1月21日 | 第14師団長 |
大正8年11月1日 | 東京衛戍総督 |
大正9年8月10日 | 待命 |
大正9年8月12日 | 朝香宮宮務監督被仰付[3] |
大正10年2月1日 | 予備役 |
大正15年8月31日 | 薨去 |
栄典
明治19年11月27日 | 叙正八位 |
明治33年3月10日 | 叙従六位 |
明治34年11月30日 | 勲五等瑞宝章 |
明治37年4月29日 | 叙正六位 |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章 |
明治40年2月12日 | 叙従五位 |
明治44年2月10日 | 叙正五位 |
大正4年3月10日 | 叙従四位 |
大正4年8月28日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正6年3月30日 | 叙正四位 |
大正7年6月18日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[5] |
大正8年10月25日 | 勲一等瑞宝章 |
大正9年4月10日 | 叙従三位 |
大正9年11月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 旭日大綬章 賜金1700円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] 戦捷記章[7] |
大正10年2月28日 | 叙正三位 |
大正10年5月30日 | 銀杯一箇(陸軍治罪法及海軍治罪法改正ニ関シ尽力尠カラス)[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第4253号 大正15年10月27日(水曜日)