桂太郎
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- かつら たろう
- 桂 太郎
- 陸軍大将従一位大勲位功三級公爵
- 歩兵
- 山口県
- 弘化4年11月28日 - 大正2年10月11日
経歴
弘化4年11月28日 | 生 |
明治7年1月13日 | 任陸軍大尉(初任) |
明治7年6月10日 | 任陸軍少佐 |
明治7年7月2日 | 参謀局諜報提理 |
明治8年3月30日 | 独国公使館附 |
明治11年7月31日 | 参謀局諜報提理 |
明治11年11月21日 | 任陸軍中佐 |
明治11年12月14日 | 参謀本部管西局長心得 |
明治15年2月6日 | 任陸軍歩兵大佐[1]・参謀本部管西局長 |
明治17年2月16日 | 大山巖陸軍卿外遊随行 |
明治18年1月25日 | 帰国 |
明治18年5月21日 | 陸軍少将・陸軍省総務局長 |
明治19年3月16日 | 陸軍次官 |
明治21年11月16日 | 兼陸軍省法官部長 |
明治23年3月27日 | 兼陸軍省軍務局長 |
明治23年6月7日 | 陸軍中将 |
明治24年6月1日 | 第3師団長 |
明治27年8月4日 | 動員下令(日清戦争) |
明治29年6月2日 | 任台湾総督 |
明治29年10月14日 | 東京防禦総督 |
明治31年1月12日 | 陸軍大臣 |
明治31年9月28日 | 陸軍大将 |
明治33年12月23日 | 依願免本官(陸軍大臣) 休職 |
明治34年6月2日 | 内閣総理大臣 |
明治36年10月12日 | 兼任内務大臣 |
明治37年2月10日 | 免兼 |
明治38年12月14日 | 兼文部大臣 |
明治39年1月7日 | 依願免本官並兼官[2] 補軍事参議官(親補) |
明治39年1月8日 | 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ |
明治41年7月14日 | 任内閣総理大臣兼大蔵大臣 特ニ現役ニ列シ実役停年ニ加算セシム[3] |
明治43年6月22日 | 兼任拓殖局総裁[4] |
明治44年8月30日 | 依願免本官並兼官(内閣総理大臣兼大蔵大臣)[5] 待命 |
大正1年8月13日 | 任内大臣兼侍従長 |
大正1年12月21日 | 内閣総理大臣 |
大正2年2月20日 | 依願免本官 |
大正2年4月1日 | 後備役 |
大正2年10月11日 | 薨去 |
栄典
明治13年5月26日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治18年11月19日 | 勲三等旭日中綬章 |
明治24年5月11日 | 勲二等瑞宝章 |
明治28年8月20日 | 依軍功特授子爵[6] 功三級金鵄勲章 勲一等瑞宝章 |
明治34年12月27日 | 授旭日大綬章 |
明治35年2月27日 | 伯爵 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[7] |
明治39年4月1日 | 大勲位菊花大綬章[8] |
明治40年9月21日 | 侯爵 |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[9] |
明治44年4月21日 | 公爵 |
明治44年8月30日 | 元勲優遇の勅書下賜[5] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[10] |
大正2年2月22日 | 元勲優遇の勅書下賜 |
大正2年10月10日 | 叙従一位(特旨) 授菊花章頸飾 |
大正2年10月11日 | 薨去 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- 官報第3644号 明治28年8月21日(水曜日)
- 官報第3877号 明治29年6月3日(水曜日)
- 官報号外 明治33年12月23日(日曜日)
- 官報号外 明治36年10月12日(月曜日)
- 官報第6755号 明治39年1月9日(火曜日)
- 官報第6756号 明治39年1月10日(水曜日)
- 官報号外 大正1年8月13日(火曜日)
- 官報第201号 大正2年4月4日(金曜日)
- 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- 官報第363号 大正2年10月13日(月曜日)
- 官報第364号 大正2年10月14日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に2月8日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年1月7日(日曜日)
- ↑ 官報号外 明治41年7月14日(火曜日)
- ↑ 官報第8100号 明治43年6月23日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報号外 明治44年8月30日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に8月5日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)