楠瀬幸彦
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- くすのせ さちひこ
- 楠瀬幸彦
- 陸軍中将正三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士官生徒3
- 高知県
- 安政5年3月15日 - 昭和2年10月13日
経歴
安政5年3月15日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治25年4月6日 | 露国公使館附 |
明治27年11月16日 | 臨時京城公使館附 |
明治28年10月 | 入獄(閔妃事件) |
明治29年1月 | 出獄 |
明治29年4月1日 | 台湾総督府陸軍軍務局第1課長 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治31年10月1日 | 西部都督部参謀長 |
明治33年4月25日 | 第12師団参謀長 |
明治34年6月26日 | 任陸軍少将 補対馬警備隊司令官[1][2] |
明治35年5月5日 | 大阪砲兵工廠提理 |
明治37年3月27日 | 第2軍兵站監 |
明治37年6月25日 | 第4軍砲兵部長 |
明治38年5月9日 | 満洲軍重砲隊司令官 |
明治39年2月14日 | 由良要塞司令官 |
明治39年7月6日 | 樺太守備隊司令官被仰付 |
明治40年4月1日 | 樺太庁長官 |
明治40年5月1日 | 補樺太守備隊司令官 |
明治40年11月13日 | 陸軍中将 |
明治41年4月23日 | 第1師団司令部附 |
明治41年12月21日 | 由良要塞司令官 |
明治44年6月15日 | 陸軍技術審査部長 |
大正2年6月24日 | 陸軍大臣 |
大正3年4月16日 | 待命 |
大正6年4月16日 | 予備役 |
大正10年4月1日 | 後備役[3] |
昭和2年10月13日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治33年3月31日 | 勲四等旭日小綬章 |
明治34年9月30日 | 叙正五位 |
明治37年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治39年10月20日 | 叙従四位 |
明治44年10月30日 | 叙正四位[5] |
大正2年11月10日 | 叙従三位 |
大正2年12月27日 | 勲一等瑞宝章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正6年4月30日 | 叙正三位(特旨)[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第386号 大正2年11月11日(火曜日)
- 官報第264号 昭和2年11月14日(月曜日)
- ↑ 官報. 1901年06月27日
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に6月28日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8510号 明治44年10月31日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1422号 大正6年5月1日(火曜日)