櫻井忠溫
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- さくらい ただよし
- 櫻井忠溫
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 歩兵
- 士候13
- 愛媛県
- 明治12年6月11日 - 昭和40年9月17日
経歴
明治12年6月11日 | 生[1] |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治37年8月2日 | 任陸軍歩兵中尉 |
明治41年4月17日 | 任陸軍歩兵大尉 |
大正5年11月15日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正10年7月20日 | 任陸軍歩兵中佐 補歩兵第14聯隊附 |
大正11年4月1日 | 補第12師団副官 |
大正13年3月15日 | 補陸軍兵器本廠附(陸軍省新聞班長) |
大正13年12月15日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍少将[1]・待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役[1] |
昭和13年4月1日 | 後備役 |
昭和40年9月17日 | 卒去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[2] |
大正7年7月15日 | 中華民国五等文虎勲章佩用允許 |
大正7年9月20日 | 叙正六位 |
大正9年5月26日 | 勲四等瑞宝章 |
大正12年12月10日 | 叙従五位 |
昭和2年5月25日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和5年9月26日 | 叙従四位(特旨) |
昭和6年時点 | 勲四等旭日小綬章[1] |
昭和9年4月29日 | 銀杯一箇 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- 官報第1842号 大正7年9月21日(土曜日)
- 官報第2346号 大正9年5月29日(土曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第2898号 大正11年4月4日(火曜日)
- 官報第3393号 大正12年12月13日(木曜日)
- 官報第3467号 大正13年3月17日(月曜日)
- 官報第120号 昭和2年5月26日(木曜日)
- 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- 官報第3421号 昭和13年6月1日(水曜日)