櫻井重壽
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- さくらい しげとし
- 櫻井重壽
- 陸軍少将従四位勲三等
- 砲兵
- 草創期
- 千葉県士族
- 嘉永3年10月 - 明治37年3月12日
経歴
嘉永3年10月 | 生 |
明治6年2月3日 | 任陸軍少尉[1] |
明治6年12月24日 | 任陸軍中尉[1] |
明治10年5月12日 | 任陸軍砲兵大尉[1] |
明治16年2月6日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
明治16年 | 山砲兵第2大隊長 |
明治17年2月23日 | 補教導団砲兵大隊長[2] |
明治19年3月1日 | 補砲兵局第1課長[3] |
明治19年3月19日 | 兼補砲兵会議議員[4] |
明治23年1月14日 | 任陸軍砲兵中佐 補野戦砲兵第6聯隊長[5] |
明治27年3月6日 | 任陸軍砲兵大佐[6] |
明治30年9月28日 | 任陸軍少将 補陸軍砲工学校長[7] |
明治30年10月23日 | 補下ノ関要塞司令官[8] |
明治31年1月29日 | 補砲兵会議議長[9] |
明治31年4月26日 | 兼補東京砲兵工廠提理[10] |
明治33年4月25日 | 専補東京砲兵工廠提理[11] |
明治33年7月29日 | 補舞鶴要塞司令官[12] |
明治34年6月26日 | 休職被仰付[13] |
明治37年3月12日 | 卒去 |
栄典
明治17年11月13日 | 勲四等旭日小綬章[14] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[15] |
明治24年12月28日 | 叙正六位[16] |
明治26年11月29日 | 勲三等瑞宝章[17] |
明治27年4月16日 | 叙従五位[18] |
明治28年10月16日 | 授旭日中綬章 賜金500円 (明治二十七八年戦役ノ功)[19] |
明治30年10月30日 | 叙正五位[20] |
明治34年12月27日 | 賜金五百円 (明治三十三年清国事変ノ功)[21] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[22] |
明治37年3月12日 | 卒去 叙従四位(特旨)[23] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第195号 明治17年2月26日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第796号 明治19年3月2日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第814号 明治19年3月23日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第1963号 明治23年1月17日(金曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3206号 明治27年3月10日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第4274号 明治30年9月29日(水曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第4296号 明治30年10月25日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第4371号 明治31年1月31日(月曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第4444号 明治31年4月27日(水曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第5042号 明治33年4月26日(木曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第5123号 明治33年7月31日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第5394号 明治34年6月27日(木曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第423号 明治17年11月24日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第3131号 明治26年12月5日(火曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3236号 明治27年4月17日(火曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第3692号 明治28年10月18日(金曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第4302号 明治30年11月1日(月曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報号外 明治34年12月29日(日曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第5874号 明治36年2月4日(水曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第6208号 明治37年3月15日(火曜日)