武田三郎
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- たけだ さぶろう
- 武田三郎
- 陸軍中将正四位勲二等功五級工学博士
- 砲兵
- 士官生徒8
- 長野県
- 文久3年7月13日 - 昭和15年4月2日
経歴
文久3年7月13日 | 生 |
明治16年 | 陸軍教導団入 |
明治19年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治37年11月2日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍砲工学校教官 |
兼陸軍技術審査部審査官 | |
明治44年6月15日 | 任陸軍少将 専補陸軍技術審査部審査官[1] |
明治44年6月17日 | 兼補陸軍砲工学校教官[2] |
明治45年1月9日 | 兼補陸軍技術審査部議員 |
明治45年2月14日 | 補陸軍砲工学校教官兼陸軍技術審査部議員[3] |
大正3年5月11日 | 陸軍砲工学校長 |
大正5年5月2日 | 任陸軍中将[4] |
大正5年8月18日 | 補東京湾要塞司令官[5] |
大正6年8月6日 | 待命被仰付[6] |
大正6年11月26日 | 依願予備役被仰付[7] |
大正14年4月1日 | 後備役編入[8] |
昭和15年4月2日 | 卒去[9] |
栄典
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[10] |
明治35年2月20日 | 叙正六位[11] |
明治39年4月1日 | 勲三等旭日中綬章 賜金2000円 明治三十七八年従軍記章[12] |
明治43年2月21日 | 叙正五位 |
大正4年3月20日 | 叙従四位[13] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[14] |
大正5年6月21日 | 勲二等瑞宝章[15] |
大正6年12月14日 | 叙正四位(特旨)[16] |
昭和15年8月15日 | 遺族武田久米彦に紀元二千六百年祝典記念章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第8564号 明治45年1月10日(水曜日)
- ↑ 官報第8394号 明治44年6月16日(金曜日)
- ↑ 官報第8396号 明治44年6月19日(月曜日)
- ↑ 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- ↑ 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- ↑ 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第1596号 大正6年11月27日(火曜日)
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第4005号 昭和15年5月16日(木曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1167号 大正5年6月22日(木曜日)
- ↑ 官報第1612号 大正6年12月15日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)