永田龜
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- ながた かめ
- 永田 龜
- 陸軍少将正四位勲二等功二級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 熊本県
- 安政3年12月19日 - 大正4年3月13日
経歴
安政3年12月19日 | 生[2] |
明治4年 | 陸軍幼年舎入[1] |
明治8年 | 陸軍士官学校入[1] |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治15年4月18日 | 任陸軍砲兵中尉[3] |
明治18年5月27日 | 任陸軍砲兵大尉[3] |
明治24年3月23日 | 任陸軍砲兵少佐[3] |
明治28年3月27日 | 任陸軍砲兵中佐[3] |
明治29年4月1日 | 補臨時陸軍運輸通信部宇品支部長[4] |
明治29年10月15日 | 補西部都督部参謀[5][6][7] |
明治30年5月11日 | 補臨時陸軍運輸通信部宇品支部長[8] |
明治30年11月1日 | 補台湾陸軍補給廠運輸部宇品支部長[9] |
明治31年11月1日 | 台湾陸軍補給廠宇品支廠長 (台湾陸軍補給廠条例改正) |
明治32年1月24日 | 任陸軍砲兵大佐[3] 補野戦砲兵第5聯隊長 台湾陸軍補給廠宇品支廠御用掛兼勤ヲ命ス[10] |
明治34年4月8日 | 第5師団参謀長 |
明治35年5月5日 | 野砲兵第5聯隊長 |
明治37年9月12日 | 陸軍少将・野砲兵第2旅団長 |
明治39年3月3日 | 休職 |
明治40年11月13日 | 舞鶴要塞司令官 |
明治43年11月30日 | 予備役 |
大正4年3月13日 | 卒去[1] |
栄典
明治18年7月25日 | 叙正七位[11] |
明治24年12月28日 | 叙従六位[12] |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章[13] |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[14] |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[15] |
明治34年10月1日 | 功三級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章[16] |
明治35年5月8日 | ロシア帝国聖アンナ剣附第二等勲章[17] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[18] |
明治37年4月12日 | 叙正五位[19] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[20] |
明治44年1月31日 | 叙正四位(特旨)[21] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 1.3 近代肥後人物史 上巻
- ↑ 人事興信録 初版(明36.4刊)
- ↑ 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第3832号 明治29年4月11日(土曜日)
- ↑ 官報第3993号 明治29年10月19日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に10月14日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に西部監軍部参謀とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4155号 明治30年5月12日(水曜日)
- ↑ 官報第4304号 明治30年11月2日(火曜日)
- ↑ 官報第4668号 明治32年1月25日(水曜日)
- ↑ 官報第681号 明治18年10月6日(火曜日)
- ↑ 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- ↑ 官報第2680号 明治25年6月6日(月曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報第5487号 明治34年10月15日(火曜日)
- ↑ 官報第5656号 明治35年5月15日(木曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第6232号 明治37年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8281号 明治44年2月1日(水曜日)