河村恭輔
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- かわむら きょうすけ
- 河村恭輔
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 砲兵
- 士候15 陸大27
- 山口県士族
- 明治16年7月26日 - 昭和25年2月26日
経歴
明治16年7月26日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
第12師団参謀 | |
大正8年11月25日 | 補野砲兵第12聯隊附 欧洲ヘ出張ヲ命ス |
大正12年8月6日 | 参謀本部要塞課要塞班長 |
兼陸軍重砲兵学校研究部部員陸軍大学校兵学教官 | |
大正14年5月1日 | 補陸軍重砲兵学校教導大隊長兼同校教官同校研究部部員 |
大正15年3月2日 | 参謀本部防衛課長 |
大正15年7月28日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和3年8月10日 | 野砲兵第22聯隊長 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍少将・津軽要塞司令官 |
昭和7年8月8日 | 野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和8年8月1日 | 砲兵監部附 |
昭和9年8月1日 | 陸軍重砲兵学校長 |
昭和10年8月1日 | 任陸軍中将・第16師団留守司令官 |
昭和11年3月23日 | 第1師団長 |
昭和13年7月15日 | 待命 |
昭和13年7月22日 | 予備役 |
昭和25年2月26日 | 死去 |
栄典
功四級金鵄勲章 | |
大正3年5月16日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年10月30日 | 叙従六位[1] |
大正9年6月25日 | 勲四等瑞宝章 |
大正9年11月30日 | 叙正六位[2] |
大正13年7月29日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ佩用允許 |
大正14年12月28日 | 叙従五位 |
昭和2年6月30日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和6年2月2日 | 叙正五位 |
昭和10年9月2日 | 叙従四位 |
昭和10年9月9日 | 勲二等瑞宝章[3] |
昭和12年9月15日 | 叙正四位 |
昭和13年9月20日 | 叙従三位(特旨) |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和17年11月27日 | 満洲国勲一位景雲章佩用允許 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2194号 大正8年11月26日(水曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- 官報第3583号 大正14年8月2日(土曜日)
- 官報第4047号 大正15年2月23日(火曜日)
- 官報第151号 昭和2年7月1日(金曜日)
- 官報第1233号 昭和6年2月10日(火曜日)
- 官報第2606号 昭和10年9月7日(土曜日)
- 官報第3216号 昭和12年9月20日(月曜日)
- 官報第3517号 昭和13年9月21日(水曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- 官報第4777号 昭和17年12月12日(土曜日)