津野一輔
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- つの かずすけ
- 津野一輔
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候5 陸大15
- 山口県
- 明治7年1月28日 - 昭和3年2月24日
経歴
明治7年1月28日 | 生 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治31年12月27日 | 陸軍大学校入学 |
明治34年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第15期) |
明治38年5月2日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治42年8月1日 | 独逸国駐在被免 補陸軍大臣秘書官兼陸軍省副官[2][3] |
明治43年6月28日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治44年9月6日 | 補歩兵第3聯隊附[4][5] |
大正2年1月15日 | 麻布聯隊区司令官 |
大正3年1月20日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正3年5月11日 | 近衛歩兵第2聯隊長 |
大正5年8月18日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正7年7月24日 | 陸軍少将・近衛歩兵第2旅団長 |
大正9年5月12日 | 北部沿海州派遣隊司令官 |
大正9年7月29日 | 薩哈嗹州派遣軍参謀長[6] |
大正10年9月1日 | 第16師団司令部附 |
大正11年8月15日 | 陸軍士官学校長 |
大正12年8月6日 | 陸軍中将 |
大正12年10月10日 | 教育総監部本部長 |
大正13年1月7日 | 任陸軍次官 叙高等官一等[7][8] |
大正15年7月28日 | 近衛師団長 |
昭和3年2月24日 | 死去 |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正八位[9] |
明治30年12月15日 | 叙従七位 |
明治44年6月13日 | 勲三等旭日中綬章[10] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
勲二等瑞宝章 | |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金3200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] |
大正12年11月20日 | 叙従四位[12] |
大正15年8月16日 | 叙正四位 |
大正15年時点 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章 プロイセン王国三等赤鷲勲章 大韓帝国勲三等太極章 中華民国三等文虎勲章[13] |
大正15年9月25日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和3年2月24日 | 薨去 叙従三位(特旨)[14] 帝都復興記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- 官報第4209号 大正15年9月3日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第7831号 明治42年8月2日(月曜日)
- ↑ 明治44年9月7日官報での前職は”陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官陸軍省軍務局課員”
- ↑ 官報第8465号 明治44年9月7日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治44年9月10日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正10年6月5日陸軍省軍務局長とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3413号 大正13年1月11日(金曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正13年1月7日とあるが9日の誤り。
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)
- ↑ 官報第8392号 明治44年6月14日(水曜日)
- ↑ 官報第2724号 大正10年8月29日(月曜日)
- ↑ 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 官報第348号 昭和3年2月28日(火曜日)