淨法寺五郎
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- じょうほうじ ごろう
- 淨法寺五郎
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士官生徒9 陸大11
- 栃木県
- 慶応1年4月28日 - 昭和13年1月20日
経歴
慶応1年4月28日 | 生 |
明治20年7月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治25年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治27年7月24日 | 陸軍大学校中退 |
明治29年2月29日 | 陸軍大学校復校 |
明治30年12月13日 | 陸軍大学校卒業(第11期) |
明治37年2月14日 | 墺国公使館附 |
明治38年4月19日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治38年12月20日 | 参謀本部附 |
明治39年2月24日 | 陸軍大学校兵学教官 |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[2]・第17師団参謀長 |
明治43年11月30日 | 第1師団参謀長 |
明治45年4月26日 | 任陸軍少将[2]・歩兵第29旅団長 |
大正3年11月26日 | 青島守備軍参謀長 |
大正4年7月5日 | 歩兵第10旅団長 |
大正5年3月24日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
大正6年8月6日 | 任陸軍中将[2]・陸軍大学校長 |
大正8年4月1日 | 第20師団長 |
大正11年2月8日 | 待命 |
大正11年5月1日 | 予備役[3] |
昭和3年4月1日 | 後備役[3] |
昭和7年4月1日 | 退役 |
昭和13年1月20日 | 薨去 |
栄典
明治23年10月15日 | 叙正八位 |
明治25年1月27日 | 叙従七位 |
明治29年12月21日 | 叙正七位 |
明治34年12月28日 | 勲五等瑞宝章 賜金300円 |
明治35年5月31日 | 叙従六位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章 |
明治38年5月24日 | 叙正六位 |
明治39年5月23日 | オーストリア・ハンガリー帝国鉄冠第二等勲章佩用允許 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治45年6月21日 | 叙正五位 |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章[1] |
大正4年5月29日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 大正三四年従軍記章[4] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[5] |
大正6年7月20日 | 叙従四位 |
大正8年8月11日 | 叙正四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[6] |
大正9年11月1日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章[7] |
大正11年5月31日 | 叙従三位(特旨)[3] |
大正14年7月11日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[8] |
昭和3年5月29日 | ポーランド共和国ドール・ヴィルッチ・ミリタリ勲章佩用允許 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4046号 明治29年12月22日(火曜日)
- 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- 官報第5619号 明治35年4月1日(火曜日)
- 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- 官報第6569号 明治38年5月26日(金曜日)
- 官報第6875号 明治39年6月1日(金曜日)
- 官報第7352号 明治40年12月28日(土曜日)
- 官報第8702号 明治45年6月22日(土曜日)
- 官報第847号 大正4年5月31日(月曜日)
- 官報第1492号 大正6年7月21日(土曜日)
- 官報第2106号 大正8年8月12日(火曜日)
- 官報第2953号 大正11年6月7日(水曜日)
- 官報第427号 昭和3年6月1日(金曜日)
- 官報第1616号 昭和7年5月23日(月曜日)