淺岡信三郎
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- あさおか しんざぶろう
- 淺岡信三郎
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候6
- 岐阜県
- 明治5年7月8日 - 昭和18年
経歴
明治5年7月8日 | 生[1] |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
陸軍兵器本廠検査官 | |
大正1年8月13日 | 陸軍技術審査部附被仰付 |
大正1年10月11日 | 任陸軍砲兵中佐 |
兼陸軍技術審査部議員 | |
大正3年3月31日 | 補陸軍技術審査部審査官兼陸軍技術審査部議員 |
陸軍省兵器局御用掛 | |
大正5年11月15日[2] | 陸軍省兵器局御用掛ヲ免ス 補野砲兵第16聯隊長 |
大正6年5月2日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正7年6月6日 | 陸軍省兵器局銃砲課長 |
大正10年7月20日 | 陸軍技術会議議員被免 任陸軍少将 補広島湾要塞司令官兼芸予要塞司令官 |
大正12年8月6日 | 待命 |
大正12年9月1日 | 予備役 |
昭和6年4月1日 | 後備役[1] |
昭和10年4月1日 | 退役 |
昭和18年 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
大正9年9月10日 | 叙正五位[3] |
大正12年10月30日 | 叙従四位(特旨)[4] |
昭和9年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲三等瑞宝章 中華民国三等文虎勲章[1] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7030号 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第13号 大正1年8月14日(水曜日)
- 官報第500号 大正3年4月1日(水曜日)
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第2492号 昭和10年4月26日(金曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正6年5月2日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)