渡邊爲太郎
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- わたなべ ためたろう
- 渡邊爲太郎
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 騎兵
- 士候4優等 陸大13
- 東京都/三重県
- 明治5年8月21日 - 大正14年4月8日
経歴
明治5年8月21日 | 生 |
明治26年7月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候4優等) |
明治27年3月7日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期) |
明治37年5月14日 | 任陸軍騎兵少佐[1] |
明治42年4月1日 | 任陸軍騎兵中佐[1] |
近衛騎兵聯隊附[2] | |
明治44年9月9日 | 補陸軍騎兵実施学校教官[2] |
大正1年8月5日 | 補騎兵第13聯隊長[3] |
大正2年8月22日 | 任陸軍騎兵大佐[4] |
大正3年1月20日 | 第16師団参謀長 |
大正5年12月19日 | 侍従武官 |
大正7年7月24日 | 任陸軍少将[4] |
大正11年8月15日 | 任陸軍中将[5]・軍馬補充部本部長 |
大正11年10月20日 | 兼補馬政長官 |
大正12年3月31日 | 免兼 |
大正13年12月15日 | 待命 |
大正13年12月20日 | 予備役 |
大正14年4月8日 | 死去 |
栄典
明治27年5月1日 | 叙正八位 |
明治28年10月12日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[6] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治45年時点 | 正六位 ロシア帝国聖アンナ第三等勲章 ロシア帝国聖スタニスラス第三等勲章 プロイセン王国三等王冠勲章 大韓帝国勲三等太極章 大清帝国二等第三双龍宝星[1] |
大正2年10月20日 | 叙従五位 |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[7] |
大正7年5月23日 | 中華民国三等文虎勲章佩用允許 |
大正9年時点 | 勲三等瑞宝章 ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章[4] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金2000円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] 戦捷記章[9] |
大正11年9月11日 | 叙従四位 |
大正14年1月21日 | 叙正四位(特旨)[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3689号 明治28年10月14日(月曜日)
- 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- 官報第6号 大正1年8月6日(火曜日)
- 官報第369号 大正2年10月21日(火曜日)
- 官報第1743号 大正7年5月27日(月曜日)
- 官報第3068号 大正11年10月21日(土曜日)
- 渡辺為太郎とは - コトバンク
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第8468号 明治44年9月11日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正2年8月22日とあるのは誤り。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3723号 大正14年1月22日(木曜日)