湯地弘
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- ゆぢ ひろし
- 湯地 弘
- 陸軍少将正五位勲三等功四級
- 歩兵
- 鹿児島県士族
- 嘉永1年12月 - 大正4年8月19日
経歴
- 妻文子(旧姓立花)
嘉永1年12月 | 生 |
明治16年2月10日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治17年時点 | 歩兵第10聯隊第3大隊長[1] |
歩兵第15聯隊第1大隊長 | |
明治21年5月22日 | 補歩兵第2聯隊第2大隊長[2][3][4] |
明治27年12月23日 | 任陸軍歩兵中佐[5] |
第1師団司令部附被仰付、第1師団兵站基地司令官被仰付 | |
明治29年1月11日 | 補宇都宮大隊区司令官[6] |
明治29年3月12日 | 補台湾守備歩兵第1聯隊長[7] |
明治30年9月7日 | 補歩兵第24聯隊長[8] |
明治32年9月8日 | 任陸軍歩兵大佐[9] |
明治34年11月13日 | 予備被仰付[10][9] |
明治37年 | 留守歩兵第24旅団長 |
明治39年4月11日 | 任陸軍少将[11] |
明治41年4月1日 | 退役[12] |
大正4年8月19日 | 卒去[13] |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[14] |
明治25年4月6日 | 叙正六位[15] |
功四級金鵄勲章 勲三等瑞宝章 | |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[16] |
明治30年7月10日 | 叙従五位[17] |
明治32年3月31日 | 授旭日中綬章 賜金750円 (台湾守備の戦功)[18] |
明治39年4月1日 | 賜金二千五百円 明治三十七八年従軍記章[19] |
大正4年8月19日 | 卒去[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 官報第14708号 明治21年5月26日(土曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治21年5月14日参謀本部部員兼陸軍大学校教官とあるのは誤りか。
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治31年7月1日調
- ↑ 官報第3766号 明治29年1月21日(火曜日)
- ↑ 官報第3815号 明治29年3月21日(土曜日)
- ↑ 官報第4258号 明治30年9月9日(木曜日)
- ↑ 9.0 9.1 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治35年7月1日調査
- ↑ 官報第5511号 明治34年11月14日(木曜日)
- ↑ 官報第6832号 明治39年4月12日(木曜日)
- ↑ 官報第7432号 明治41年4月9日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第1030号 大正5年1月11日(火曜日)
- ↑ 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- ↑ 官報第2629号 明治25年4月7日(木曜日)
- ↑ 官報第3838号 明治29年4月18日(土曜日)
- ↑ 官報第4207号 明治30年7月12日(月曜日)
- ↑ 官報第4743号 明治32年4月27日(木曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)